稲田植封
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稲田 植封(いなだ たねあつ、寛政5年(1793年) - 文政8年1月17日(1825年3月6日))は、徳島藩筆頭家老。淡路洲本城代稲田家12代当主。
子に稲田植乗。通称は九郎兵衛。
生涯
[編集]寛政5年(1793年)、蜂須賀家家老稲田敏植の子として生まれる。文化8年(1811年)、父の死去により家督相続して洲本城代となり、藩主蜂須賀治昭に仕えた。文化9年(1812年)には、稲田家の郷校益習館で講義を行っていた儒学者・篠崎小竹の紹介で、頼山陽が稲田家を訪問している。文化13年(1816年)、仕置見習となる。文政8年(1825年)1月17日死去。享年33。家督は弟の芸植が相続した。
参考文献
[編集]- 藤井喬『阿波人物誌』