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稲葉正巳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
稲葉 正巳
前列中央の人物が稲葉正巳。前列左からロバート・ヴァン・ヴォールクンバーグ(アメリカ公使)、大関増裕。後列左から江連堯則外国奉行)、石川重敬勝海舟松平太郎
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文化12年10月15日1815年11月15日
死没 明治12年(1879年9月16日
官位 従四位下、兵部大輔
幕府 江戸幕府
安房館山藩
氏族 稲葉氏
父母 父:稲葉正盛、母:本多忠誠の娘
正室:牧子諏訪忠恕の娘)
養子:正善
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稲葉 正巳(いなば まさみ、文化12年10月15日1815年11月15日〉- 明治12年〈1879年9月16日)は、江戸時代後期から末期の大名安房館山藩第4代藩主。3代藩主稲葉正盛の長男。

生涯

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文政3年(1820年)2月7日、父正盛の死により家督を相続する。天保3年(1832年)6月1日、将軍徳川家斉に拝謁する。文久2年(1862年)、若年寄に就任する。元治元年(1864年)には外国御用取扱勝手掛・海陸備向取扱となり、神戸海軍操練所設立に尽力する。同年、若年寄を辞任して隠居、家督を養子の正善大岡忠恕の次男)に譲った。翌慶応元年(1865年)には若年寄に再び任じられ、幕府海軍の軍制整備を担当する。徳川慶喜に重用され、慶応2年(1866年)、陸軍奉行老中格海軍総裁に進む。明治元年(1868年)に全ての幕府役職を辞任して新政府に恭順した。

年譜

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  • 文化12年(1815年)10月15日:稲葉正盛の長男として生まれる。
  • 文政3年(1820年)2月7日:稲葉家の家督を相続する。
  • 弘化2年(1845年)7月29日:大番頭に就任する。
  • 文久元年(1861年)7月8日:講武所奉行に就任する。
  • 文久2年(1862年)3月15日:若年寄に就任する。
  • 文久2年(1862年)6月18日:外国掛となる。
  • 元治元年(1864年)9月27日:若年寄を辞職する。
  • 元治元年(1864年)12月17日:隠居。
  • 慶応元年(1865年)1月19日:若年寄に再び就任する。
  • 慶応2年(1866年)8月4日:陸軍奉行に就任する。
  • 慶応2年(1866年)12月16日:老中格となる。
  • 慶応2年(1866年)12月27日:海軍総裁に就任する。
  • 慶応3年(1867年)5月6日:国内事務総裁に就任する。
  • 慶応4年(1868年)2月1日:幕府の役職を辞する。
  • 明治12年(1879年):死去。享年65。

系譜

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父母

正室

養子

参考文献

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