穴澤利夫
穴澤 利夫(あなざわ としお[1][2]、1922年(大正11年)2月13日[3] - 1945年(昭和20年)4月12日[1][2])は、大日本帝国陸軍軍人[1][2]、特別攻撃隊[1][2]、振武隊隊員[2]。婚約者は伊達智恵子(孫田智恵子)。穴沢利夫とも記される[2]。
穴澤 利夫 あなざわ としお | |
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23歳の利夫 | |
生誕 |
1922年(大正11年)2月13日 福島県耶麻郡(現・福島県喜多方市) |
死没 |
1945年(昭和20年)4月12日 沖縄県 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1943年 - 1945年 |
最終階級 |
少尉 死後二階級特進で大尉 |
出身校 | 中央大学法学部 |
配偶者 | 伊達智恵子(孫田智恵子) |
生涯
[編集]幼少・青年時代
[編集]1922年2月13日、現在の福島県喜多方市に生まれる[1]。幼い頃から読書が好きであり、将来の夢は児童図書館を設立することであった[4]。そのため、文部省図書館講習所に進学した[4]。卒業後、東京の中央大学に進学[1][4]。東京医科歯科大学の図書館の司書としてアルバイトをしていた[4]。しばらくすると、文部省図書館講習所の後輩達が自習に来る。その中に、後の婚約者である伊達智恵子(孫田智恵子)がいた[4]。2人は、1941年(昭和16年)頃から手紙での交際を始めた[4]。しかし、利夫の兄は「都会の女は信用できない[4]。」と猛反対する。また、それと同時に両親にも反対された[4]。
特別攻撃隊時代
[編集]1943年10月1日、中央大学を卒業し、志願して第20振武隊 特操1期生として入隊[4][5]。この頃から、利夫は死を覚悟していたという[4]。
利夫が正式に智恵子と婚約を始めたのは1945年3月であった[5]。利夫は同年3月8日、特別に休暇を貰い、故郷の福島で両親に「私は、特攻隊としてこの戦争で死にます。けれど、死ぬ前にどうしても智恵子さんと一緒になりたかった。」と説得[4]。両親も利夫の説得に応じてくれた。翌日9日には、東京の智恵子の家を訪ねた。智恵子の両親も、利夫の説得に応じてくれ、喜んだ利夫は、目黒区にある親戚の家に泊まった[4]。翌3月10日未明の東京大空襲により、利夫は慌てて家を飛び出し、智恵子が無事か確認しに行った[4]。すると、目黒の大鳥神社で利夫と智恵子は遭遇。お互いに生き延びたことを喜んだ[4]。しかし、利夫は間もなく飛行場に戻ることとなり、2人で国電に乗ったものの、息苦しかったため池袋駅で降りることになった。ここで2人は別れを告げた[4]。
5度目の出撃
[編集]利夫は、何度も出撃を行っていたものの、何度も生きて帰ってきた[6]。4月12日が最後の出撃であった。智恵子から貰ったマフラーを首に巻いて、利夫は出撃した[1]。
利夫は、知覧町立高等女学校の女学生達に見送られながら鹿児島の知覧特攻基地から出撃した。それを追いかけていた智恵子は、都城盆地の兵士達に聞くと、「その部隊は出撃した[6]。」と言われ、泣きながら南の海へ手を合わせ、東京へ帰って行った。その日、穴澤利夫は帰らぬ人となった[6]。
死後
[編集]最期の出撃となった4月12日の4日後である4月16日、智恵子に利夫から遺書が届く[1][4]。智恵子は、この手紙を読んだ時、胸が締め付けられそうになったという[5]。また、陸軍指定の食堂でもあり、多くの特攻隊員が通っていた富屋食堂の経営者である鳥濱トメが「笑って行った人など1人もいない。愛する人と暮らしていたかった。でも、もはや本土上陸目前だったから、愛する人を守るんだと、私にはっきり言ったよ。」と語った。また、死後、利夫は二階級特進して大尉となった[1]。
遺書
[編集]あなたの幸せを願う以外に何物もありません。
無駄に、過去のことや過去の義理にこだわってはいけません。
自分も負けずに朗らかに笑って征きます — 穴澤利夫[7]
あなたは過去に生きるのではありませんから。
勇気をもって過去を忘れ、将来に新しく生きる場を見出すことです。
あなたは今後の、一時一時の現実の中に生きるのです。
穴沢は現実の世界にはもう存在しません。
いまさら何を言うのかと自分でも考えますが、ちょっぴり欲を言ってみたいです。
1、読みたい本、「万葉」「句集」
2、観たい画、ラファエルの「聖母子像」、狩野芳崖の「悲母観音」
3、智恵子。 会いたい、話したい、無性に。
今後は明るく朗らかに。
穴澤を題材としたドラマや映画等
[編集]- モチーフにした作品、ないし類似作品
- 『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』: 本田耕一(演:本田博太郎)と蓮見葉子(演:竹下景子)との関係性が、穴澤と伊達との関係と酷似している。
穴澤利夫を題材とした著作
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i “知覧特攻平和会館”. 知覧特攻平和会館. 2022年5月16日閲覧。
- ^ a b c d e f “穴沢利夫 - まいり”. mairi.me. 2022年5月16日閲覧。
- ^ “戦争の悲惨さや記憶を戦争体験のない世代へ継承『大学と東京と知覧をつなぐ企画展』12/8~14中央大学多摩キャンパスにて開催”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2022年5月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 小名木善行(おなぎぜんこう). “逢ひたい。無性に・・・穴澤利夫大尉”. nezu3344.com. 2022年5月16日閲覧。
- ^ a b c “第16話 「知覧からの手紙」|河内 鏡太郎 愛と勇気の図書館物語|武庫川女子大学附属図書館”. www.mukogawa-u.ac.jp. 2022年5月16日閲覧。
- ^ a b c “特攻の母 鳥浜 トメ | チャンネルNippon”. www.jpsn.org. 2022年5月16日閲覧。
- ^ “特攻隊員たちの遺書”. 2023年1月28日閲覧。