空と風と星と詩
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『空と風と星と詩』(そらとかぜとほしとし)は尹東柱の死後出版された遺稿詩集。1941年に19編が完成し詩集として発表しようとしたが、大日本帝国の検閲が危惧され叶わなかった。1948年正音社(정음사)から遺作30編が集められ同名で刊行された。最初の19編は全て延世専門学校時代に書かれたものである。
1948年2月、尹東柱の三周忌追悼式に合わせ茶色の表紙で初刊本10冊が製作された。1か月後、1000冊の初版が正音社から出版された。 追悼式までに本文は印刷できていたが表紙の制作が間に合わなかったため、追悼式の本は別に表紙付けされて初刊本となった。一か月後にいじょんによる青色の版画を表紙にした初版本が世に出た。 当時は縦書きが一般的だったが正音社の創設者のうぃする ちぇひょんべ(崔鉉培)の意向により横書きで印刷された[1][2]。初刊本の内の一冊はウルサン広域市南区にあるウルサン博物館に所蔵されている[3]。
収録された詩
[編集]1941年版の『空と風と星と詩』に収録された詩の題名を以下に記す。
日本語訳は金時鐘編訳(2012).尹東柱詩集 空と風と星と詩 岩波文庫より
- 自画像
- 新たな道
- 悲しい一族
- 少年
- 病院
- 恐ろしい時間
- 雪降る地図
- 太初の朝
- 再び太初の朝
- 夜が明けるまで
- 十字架
- 眼を閉じてゆく
- 帰ってきて見る夜
- 看板のない街
- 風が吹いて
- また別の故郷
- 道
- 星を数える夜
- 序詩
関連人物
[編集]- 馬光洙(まぐぁんす)
- 初版詩集の表紙を制作したのはいじょん。これまで名前以外に情報がなかったが、版画家のほんそんうんが2019年の『近代書誌』19号で本名はいじゅすんだと明らかにした。最初は表紙依頼により正音社と縁ができ正式に入社し、編集長にまでなった[4]。
脚注
[編集]- ^ https://www.seoul.co.kr+(2014年10月27日).+““’하늘과 바람과’ 최초본 윤동주 3주기 추도식에 헌정”” (朝鮮語). 2023年8月6日閲覧。
- ^ 조상인 (2017年3月1日). “윤동주 첫 시집표지는 파란색 아니라 갈색?”. 서울경제 2018年8月28日閲覧。
- ^ 최수상 (2018年5月10日). “울산박물관 '하늘과 바람과 별과 시' 정음사 초간본 소장”. 파이낸셜뉴스 2018年8月28日閲覧。
- ^ ““윤동주 첫 시집 표지 판화가 ‘70년만의 발굴기’ 극적이죠”” (朝鮮語) (2019年8月6日). 2023年8月6日閲覧。