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窪田忠彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
窪田忠彦
人物情報
生誕 (1885-02-27) 1885年2月27日
東京市芝区
死没 (1952-10-31) 1952年10月31日(67歳没)
出身校 東京帝国大学理科大学大学院
学問
研究分野 数学
研究機関 統計数理研究所
主な受賞歴 勲一等 • 瑞宝章
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窪田 忠彦(くぼた ただひこ、明治18年(1885年2月27日 - 昭和27年(1952年10月31日)は、日本数学者東北帝国大学教授。統計数理研究所三代目所長。

略歴

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栄典

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著書

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  • 幾何学的変換論初歩金港堂書籍、1925年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980958 
  • 『初等幾何学特選問題』共立社書店、1932年。 NCID BA30492291 
  • 『初等幾何學特論』共立社書店〈輓近高等数学講座 第33巻〉、1933年。 NCID BN11665612 
  • 『初等微分幾何学』岩波書店岩波全書 第35〉、1934年。 
  • 岩波書店編 編『岩波講座数学』 第6、岩波書店、1935年。 
  • 岩波書店編 編『岩波講座数学』 第9、岩波書店、1935年。 
  • 解析幾何学』 第1巻、内田老鶴圃、1937年。 
    • 『解析幾何学』 第1巻(訂正版)、内田老鶴圃、1947年。 
    • 『解析幾何学』 第1巻(訂4版)、内田老鶴圃、1951年。 
  • 『高等数学叢書』 第7、岩波書店、1940年。 
  • 『新輯教育数学講座』 第1-3、共立社、1943年。 
  • 『解析幾何学』 第2巻、盈科舎、1945年。 
    • 『解析幾何学』 第2巻(訂再版)、内田老鶴圃、1949年。 
    • 『解析幾何学』 第2巻(訂3版)、内田老鶴圃、1951年。 
  • 『幾何学の基礎』(第3版)岩波書店〈岩波全書 第104〉、1946年。 
  • 『近世幾何学』岩波書店、1947年。 
  • 『歯車の幾何学』河出書房〈数学集書1〉、1947年。 
  • 『平面解析幾何学』岩波書店、1949年。 
  • 『初等幾何学作図問題』内田老鶴圃、1952年。 
    • 『初等幾何学作図問題』内田老鶴圃新社、1974年。 
  • 佐々木重夫編 編『微分幾何学』岩波書店〈岩波全書〉、1957年。 

編著

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  • 窪田忠彦など編 編『数学事典』大阪書籍、1953年。 

家族

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  • 父親の窪田忠篤は東京府士族[2]。母のさとは麻布区の資産家・大草直道の養妹[2][3]
  • 前妻の君子(喜美)は高瀬弥一 の妹。17歳で窪田と結婚したが、新婚旅行中に逃げ出し、のち離婚[4]
  • 後妻の寿恵は陸軍軍医監・渡辺温行の四女[5]
  • 妹フミの夫は植民地官僚の渋谷三郎[2][6]

脚注

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  1. ^ 『官報』第1646号「叙任及辞令」1932年6月27日。
  2. ^ a b c 窪田忠彦『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  3. ^ 大草直道『現代人事調査録』猪野三郎 編 (帝国秘密探偵社[ほか], 1925)
  4. ^ 『若き日の和辻哲郎』 勝部真長、PHP研究所, 1995/04/03、第5章「2.新婚生活」の項
  5. ^ 渡辺温行『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  6. ^ 渋谷三郎(しぶやさぶろう)国立公文所館

外部リンク

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先代
末綱恕一
統計数理研究所所長
1949年 - 1952年
次代
佐々木達治郎