窪田忠彦
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人物情報 | |
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生誕 |
1885年2月27日 東京市芝区 |
死没 | 1952年10月31日(67歳没) |
出身校 | 東京帝国大学理科大学大学院 |
学問 | |
研究分野 | 数学 |
研究機関 | 統計数理研究所 |
主な受賞歴 | 勲一等 • 瑞宝章 |
窪田 忠彦(くぼた ただひこ、明治18年(1885年)2月27日 - 昭和27年(1952年)10月31日)は、日本の数学者。東北帝国大学教授。統計数理研究所三代目所長。
略歴
[編集]- 1885年(明治18年)2月27日 東京府東京市芝区に生れる。
- 旧制東京府立第一中学校、旧制第一高等学校卒業。
- 1908年(明治41年) 東京帝国大学理科大学数学科を卒業。
- 1910年(明治43年)10月 東京帝国大学理科大学大学院修了。
- 1911年(明治44年)7月 東北帝国大学理科大学数学科助教授。
- 1915年(大正4年)4月~1947年(昭和22年)8月 東北帝国大学教授。
- 1944年(昭和19年) 勲一等瑞宝章。
- 1947年(昭和22年) 学士院会員。
- 1949年(昭和24年)11月17日~1952年(昭和27年)8月31日 文部省統計数理研究所所長。
- 1952年(昭和27年)10月31日 没。
栄典
[編集]著書
[編集]- 『幾何学的変換論初歩』金港堂書籍、1925年 。
- 『初等幾何学特選問題』共立社書店、1932年。 NCID BA30492291。
- 『初等幾何學特論』共立社書店〈輓近高等数学講座 第33巻〉、1933年。 NCID BN11665612。
- 『初等微分幾何学』岩波書店〈岩波全書 第35〉、1934年。
- 岩波書店編 編『岩波講座数学』 第6、岩波書店、1935年。
- 岩波書店編 編『岩波講座数学』 第9、岩波書店、1935年。
- 『解析幾何学』 第1巻、内田老鶴圃、1937年。
- 『解析幾何学』 第1巻(訂正版)、内田老鶴圃、1947年。
- 『解析幾何学』 第1巻(訂4版)、内田老鶴圃、1951年。
- 『高等数学叢書』 第7、岩波書店、1940年。
- 『新輯教育数学講座』 第1-3、共立社、1943年。
- 『解析幾何学』 第2巻、盈科舎、1945年。
- 『解析幾何学』 第2巻(訂再版)、内田老鶴圃、1949年。
- 『解析幾何学』 第2巻(訂3版)、内田老鶴圃、1951年。
- 『幾何学の基礎』(第3版)岩波書店〈岩波全書 第104〉、1946年。
- 『近世幾何学』岩波書店、1947年。
- 『歯車の幾何学』河出書房〈数学集書1〉、1947年。
- 『平面解析幾何学』岩波書店、1949年。
- 『初等幾何学作図問題』内田老鶴圃、1952年。
- 『初等幾何学作図問題』内田老鶴圃新社、1974年。
- 佐々木重夫編 編『微分幾何学』岩波書店〈岩波全書〉、1957年。
編著
[編集]- 窪田忠彦など編 編『数学事典』大阪書籍、1953年。
家族
[編集]- 父親の窪田忠篤は東京府士族[2]。母のさとは麻布区の資産家・大草直道の養妹[2][3]。
- 前妻の君子(喜美)は高瀬弥一 の妹。17歳で窪田と結婚したが、新婚旅行中に逃げ出し、のち離婚[4]。
- 後妻の寿恵は陸軍軍医監・渡辺温行の四女[5]。
- 妹フミの夫は植民地官僚の渋谷三郎[2][6]。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 『窪田忠彦』 - コトバンク
- 三代所長:窪田忠彦(統計数理研究所) - 顔写真あり。
- 幾何学的変換論初歩 / 窪田忠彦著,金港堂書籍,大正14年(国立国会図書館デジタルコレクション)
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