窪田忠知
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 寛永9年9月5日(1632年10月18日) |
別名 | 菅右衛門尉、右近、助十郎、庄兵衛 |
主君 | 武田信玄、勝頼、徳川家康、秀忠 |
氏族 | 三枝流窪田氏 |
父母 | 父:窪田忠廉 |
妻 | 赤岡次右衛門好之の娘 |
子 | 窪田忠雅、窪田忠行 |
窪田 忠知(くぼた ただとも)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。武田家旗本より徳川家旗本になる。八王子千人同心9人の千人頭の一家となる。書籍によっては「久保田」とも称される。三枝流窪田氏。
略歴
[編集]最初は武田氏に仕え、天正10年(1582年)武田氏没落後は早期に徳川家康に仕え、甲州九口之道筋奉行に命じられる。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに従軍。天正18年(1590年)徳川氏が関東に移ると、北条氏照の残党に備えて八王子に移り、八王子千人同心9人の千人頭の一家となる。九戸政実の乱・関ヶ原の戦い・大坂の陣にも従軍した。
その他
[編集]八王子千人同心千人頭には窪田家が2家あり、井上流窪田氏と三枝流窪田氏がある。両家とも明治まで存続した。徳川家旗本にも窪田が多数確認される。
参考文献
[編集]- 「寛政重修諸家譜」巻第千三百八十
- 賢甫義哲、「長楽寺永禄日記」、続群書類従完成会、2003年