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窪田忠知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
窪田忠知
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 不詳
死没 寛永9年9月5日1632年10月18日
別名 菅右衛門尉、右近、助十郎、庄兵衛
主君 武田信玄勝頼徳川家康秀忠
氏族 三枝流窪田氏
父母 父:窪田忠廉
赤岡次右衛門好之の娘
窪田忠雅窪田忠行
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窪田 忠知(くぼた ただとも)は、戦国時代から江戸時代初期の武将武田家旗本より徳川家旗本になる。八王子千人同心9人の千人頭の一家となる。書籍によっては「久保田」とも称される。三枝流窪田氏。

略歴

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最初は武田氏に仕え、天正10年(1582年)武田氏没落後は早期に徳川家康に仕え、甲州九口之道筋奉行に命じられる。天正12年(1584年小牧・長久手の戦いに従軍。天正18年(1590年徳川氏関東に移ると、北条氏照の残党に備えて八王子に移り、八王子千人同心9人の千人頭の一家となる。九戸政実の乱関ヶ原の戦い大坂の陣にも従軍した。

その他

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八王子千人同心千人頭には窪田家が2家あり、井上流窪田氏と三枝流窪田氏がある。両家とも明治まで存続した。徳川家旗本にも窪田が多数確認される。

参考文献

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  • 寛政重修諸家譜」巻第千三百八十
  • 賢甫義哲、「長楽寺永禄日記」、続群書類従完成会、2003年

関連項目

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