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立川平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
立川平
たつかわ おさむ
生年月日 1891年9月12日
出生地 日本の旗 日本 長野県北佐久郡岩村田町
(現・長野県佐久市岩村田)
没年月日 (1978-11-09) 1978年11月9日(87歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学法律学科(独法)卒業
(現・東京大学法学部
前職 弁護士
所属政党立憲政友会→)
翼賛議員同盟→)
無所属→)
日本自由党
親族 父・立川雲平(衆議院議員)

選挙区 兵庫県第2区
当選回数 3回
在任期間 1932年2月20日 - 1942年4月29日

兵庫県の旗 第37代 兵庫県会副議長
在任期間 1929年11月 - 1930年11月

兵庫県の旗 兵庫県会議員
選挙区 津名郡選挙区
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立川 平(たつかわ おさむ、1891年明治24年)9月12日[1] - 1978年昭和53年)11月9日[2])は、大正から昭和期の弁護士実業家政治家衆議院議員

経歴

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長野県北佐久郡岩村田町[3]浅間町を経て現佐久市岩村田)で、弁護士、政治家立川雲平の長男として生まれる[1][4]。1898年(明治31年)家督を相続した[4]第二高等学校を経て[1][5]、1916年(大正5年)11月、文官高等試験行政科試験に合格し[3][5]、1917年(大正6年)3月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業した[1][2][3][4][5][6]

司法官試補となるが[1][2]、大阪田中商事 (株) に転じ[1]、さらに十五銀行に移った[1][5]大阪地方裁判所勤務を経て[1]、1922年(大正11年)神戸市で弁護士を開業した[1][2][3][4]。実業界では、飼料配給取締役、日本高周波重工業常任監査役、帝国畜産会副会頭、養鶏組合中央会副会頭、協同麻袋社長などを務めた[2][3][4]

政界では、兵庫県会議員に津名郡選挙区より選出され、同副議長も務めた[2][3][6][7]。1932年(昭和7年)2月、第18回衆議院議員総選挙に兵庫県第2区から立憲政友会公認で出馬して初当選[1][8]。その後、第20回総選挙まで再選され、翼賛議員同盟に所属し衆議院議員に連続3期在任した[2][3][4]

国政選挙歴

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『帝国大学出身名鑑』タ102頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』229頁。
  3. ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』281頁。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 下』タ223頁。
  5. ^ a b c d 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、217頁。
  6. ^ a b 『粛正選挙代議士名鑑』158頁。
  7. ^ 兵庫県議会/歴代の議長・副議長”. web.pref.hyogo.lg.jp. 2022年3月11日閲覧。
  8. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 第18回』51頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』49頁。
  10. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第20回』43頁。
  11. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』363頁。
  12. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1181頁。

参考文献

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  • 編校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第18回』衆議院事務局、1932年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第20回』衆議院事務局、1937年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 『粛正選挙代議士名鑑』選挙粛正中央会編纂部、1936年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。