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竹内道之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹内 道之助(たけうち みちのすけ、1902年1月25日 - 1981年4月20日)は、日本の翻訳家実業家三笠書房創立者。東京府東京市深川区(現・東京都江東区)出身[1]

略歴

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本所高等小学校卒業[2]正則英語学校アテネフランセに通い英語、ドイツ語フランス語を習得[3]

藤澤衛彦の主宰の雑誌『伝説』の編集に携わる。のち、梅原北明が企画し福山福太郎が創設した「文藝資料研究会」に参加し、雑誌『奇書』や「変態文献叢書」の編集を手がける。1930年には酒井潔らの協力をうけ「風俗資料刊行会」を設立し、雑誌『風俗資料』『デカメロン』らを編集刊行した。

そののち、哲学者三木清らのグループや、唯物論研究会との親交を重ね、1933年に妻富子と共に、社会科学書、ヨーロッパ・アメリカ文学の翻訳書の刊行を主とする、三笠書房を創立。「唯物論全書」「ヘッセ全集」、米川正夫訳を軸としたドストエフスキー全集、友人齋藤磯雄フランス文学者)訳でヴィリエ・ド・リラダンの作品集、五来達訳で最初期のマルセル・プルースト失われた時を求めて』等を刊行。1938年『文庫』を創刊し、友人・大久保康雄の翻訳や小説を載せ、自らは藤岡光一の筆名で翻訳を行う。

1940年大久保康雄訳『風と共に去りぬ』を刊行するが発禁になる。戦後大久保との共訳の形で再刊ベストセラーとなった。1945年、三笠書房を株式会社に改組[4]

1952年には村岡花子訳『赤毛のアン』を刊行してベストセラーとし、戦後の一時期、外国文学の翻訳で一世を風靡した。竹内当人は英国の人道主義的作家A・J・クローニンのほぼ全作品を翻訳。1968年ころから三笠書房が経営不振に陥り、1973年に会長に退き、以後、翻訳に専念した[5]

著書

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  • 『二人の騎士 童話集』(三笠書房) 1938
  • 『愛と真実 クローニンの世界』(三笠書房) 1972

翻訳

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A・J・クローニン

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  • 『帽子屋の城』(クローニン、三笠書房) 1952 - 1953、のち新潮文庫
  • 『二つの世界に賭ける』(A・J・クローニン、中村能三共訳、三笠書房) 1953
  • 『地の果てまで』(A・J・クローニン、三笠書房) 1954 - 1955
  • 『人生の途上にて』(クローニン、三笠書房・新書) 1955
  • 『天国の鍵』(A・J・クローニン、三笠書房) 1955
  • 『若き日の悩み』(A・J・クローニン、三笠書房) 1956
  • 『青春の生きかた』(A・J・クローニン、三笠書房) 1956 - 1957
  • 『恐怖からの逃走』(A・J・クローニン、三笠書房) 1957
  • 『スペインの庭師』(A・J・クローニン、三笠書房) 1957
  • 『城砦』(A・J・クローニン、三笠書房、クローニン全集) 1957
  • 『美の十字架』(A・J・クローニン、三笠書房) 1958
  • 『愛の花束』(A・J・クローニン、三笠書房、クローニン全集) 1959
  • 『少年と友情』(A・J・クローニン、三笠書房、クローニン全集) 1959
  • 『人間社会』(A・J・クローニン、三笠書房) 1961
  • 『人生航路』(A・J・クローニン、三笠書房) 1961
  • 『三つの愛』(クローニン、三笠書房) 1962 - 1963
  • 『受難の道』(A・J・クローニン、三笠書房) 1963
  • 『大カナリヤ航路』(A・J・クローニン、三笠書房、クローニン全集) 1965
  • 『花を持てる女性 / 実験室』(A・J・クローニン、三笠書房、クローニン全集) 1965
  • 『ユダの樹 / 純愛を裏切るもの』(A・J・クローニン、三笠書房) 1965
  • 『愛と死のカルテ』(A・J・クローニン、三笠書房) 1967
  • 『孤独と純潔の歌』(A・J・クローニン、三笠書房、クローニン全集) 1967
  • 『星の眺める下で』(A・J・クローニン、三笠書房、クローニン全集) 1968
  • 『純愛記 続生と死をみつめて(抄)』(A・J・クローニン、三笠書房、クローニン全集) 1970
  • 『スイス高原療養所』(クローニン、三笠書房) 1973
  • 『悪い女』(クローニン、三笠書房) 1975
  • 『聖夜』(A・J・クローニン、三笠書房) 1976

脚注

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  1. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報では「東京市本所区押上出身」とある
  2. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  3. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  4. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  5. ^ 『出版人物事典―明治-平成物故出版人』出版ニュース社。ただし日外アソシエーツ現代人物情報では「1948年以後は社主を退き翻訳に専念する」とある。

外部リンク

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