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竹友藻風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹友藻風(1948年)

竹友 藻風(たけとも そうふう、1891年9月24日 - 1954年10月7日)は、日本の英文学者詩人翻訳家

ルバイヤット』『神曲』などの翻訳がある。

経歴・人物

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(出典[1][2]
大阪市生まれ。本名・乕雄(とらお)。父・安治郎は実業家で、のち東海生命保険専務取締役。

関西学院中学校同志社中学校を経て1910年3月桃山学院中学校卒業。同年同志社神学校進学。1911年京都帝国大学英文科選科に移り、上田敏新村出(言語学)、藤井乙男(国文学)、吉沢義徳(国語学史)、鈴木虎雄(中国文学)、藤代禎輔(独文学)らに学び、1914年卒業。京都大学在学中の1913年、処女詩集『祈祷』を上梓[3]

1915年夏、渡米。同年10月イェール大学神学部に入学するが翌1916年に退学し、ニューヨークに出てブルックリン博物館で東洋美術の管理助手として勤務。同年、日米協会の講演会で、当時コロンビア大学の英文学の教授だったジョン・アースキンに出会う。翌1917年からコロンビア大学で英文学を学び、1919年6月、同大学から文学修士(M.A)の学位を得た[注 1]

1920年1月帰国。同年4月、野口米次郎の紹介で慶應義塾大学教授に就任。1921年から東京高等師範学校に出講。同年、北原白秋らと新詩会を結成。

1922年春、慶應を辞して高等師範の専任講師に就任。1923年同校教授。

1934年春、斎藤勇の推薦で新設の関西学院大学法文学部の教授に就任。

1948年秋、新設の大阪大学文学部の英文学科教授に就任。1950年冬、関西学院から文学博士の学位を贈られる。

1954年10月、大阪大学を定年退官する半年前に63歳で病没。墓所は多磨霊園[4]

長男は精神医学者でアルベルト・アインシュタイン医科大学精神医学臨床名誉教授の故・竹友安彦[5]。四男は英文学者で元大阪大学文学部教授の故・藤井治彦[注 2]で、1982年に出版された『竹友藻風選集』の編集に携わった。他に二男一女あり[6][注 3]。 

著書

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  • 『祈祷』(昴発行所) 1913年
  • 『鬱金草』(編、梁江堂書店) 1915年
  • 『浮彫』(山中嵒松堂) 1915年
  • 『時のながれに』(天佑社) 1920年
  • 『審美論集』(金星堂) 1921年
  • 『文学論』(アルス) 1926年
  • 『エッセイとエッセイスト』(北文館) 1927年
  • 『詩集』(新潮社) 1927年
  • 『書物と人』(斯文書院) 1927年
  • 『英文学論攷』(万里閣書房) 1930年
  • 『馴鹿』(梓書房) 1930年
  • 『文学総論』(梓書房) 1930年 - 1934年
  • 『英国小品文学』(北文館) 1933年
  • 『冬扇帖』(文体社) 1934年
  • 『叙情詩論』(弘文堂書房) 1939年
  • 『英詩史』(研究社、研究社英米文学語学講座) 1941年
  • 『鶺鴒』(七丈書院) 1942年
  • 『藻風小品』(積善館) 1943年
  • 『肯定的精神』(増進堂) 1948年
  • 『法苑林 訳詩集』(潮人社) 1951年
  • 『竹友藻風選集』(藤井治彦編、南雲堂) 1982年 ASIN B000J7DOSO

翻訳

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  • 『ルバイヤット』(オオマア・カイアムエドワード・フィッツジェラルド英訳、アルス) 1921年
    • ルバイヤート 中世ペルシアで生まれた四行詩集』(オマル・ハイヤーム、ロナルド・バルフォア挿画、マール社) 2005年 ISBN 978-4837304302
  • ヴェルレエヌ選集』(アルス) 1921年
  • 神曲 地獄界』(ダンテ、文献書院) 1923年
  • 『丸太』(アナトオル・フランス、新しき村出版部) 1924年
  • アンデルセン童話集』(世界童話大系刊行会、世界童話大系(北欧篇)) 1924年
  • 『希臘詞花抄』(新しき村出版部) 1924年
  • 『諸国童謡集 翻訳篇・日本篇』(世界童話大系刊行会、世界童話大系) 1925年
  • 『泰西閨秀詞藻』(浅田清造共訳、世界文献刊行会) 1926年
  • 『英国童謡集』(研究社) 1929
    • 新版「新訳注双書」 1976年 ISBN 978-4327098643
  • 『リシダス』(ミルトン、文教閣) 1934年
  • 大騒ぎ』(シエイクスピヤ、弘文堂書房) 1940年
  • 『神曲 浄罪界』(ダンテ、創元社) 1948年
  • 天路歴程』(バニヤン、西村書店) 1947年 - 1948年
  • 御意のまゝに』(大阪文庫、シェイクスピア選集 第1) 1948年
  • 十二夜』(大阪文庫、シェイクスピア選集 第2) 1948年
  • ハムレット』(大阪文庫、シェイクスピア選集 第4) 1949年
  • ロウミオとジューリエット』(大阪文庫、シェイクスピア選集 第5) 1949年
  • 新生』(ダンテ、垂水書房) 1961年

脚注

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注釈

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  1. ^ ウォルター・ベイターの『享楽主義者メアリアス』(『享楽主義者マリウス』)と鴨長明の『方丈記』の思想を比較した論文と、森鴎外、永井荷風、島崎藤村の短編七編を英訳したPauloweniaによって、学位を得た。Pauloweniaはアースキンの援助で、Duffield書房から1918年に出版された
  2. ^ 藻風の妻の芳の実家である藤井家の養子となった。
  3. ^ 次男は藤井家の養子となるも、学徒出陣として徴兵され大陸にて戦病死。三男は夭折。長女は他家に嫁ぎ2024年の時点で健在。

出典

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  1. ^ 藤井治彦『竹友藻風選集第二巻「竹友藻風小伝」』南雲堂、1982年、557-574頁。ASIN B000J7DOSO 
  2. ^ https://www.kwansei.ac.jp/r_history/r_history_m_001222/detail/r_history_008864.html
  3. ^ 上田敏が序文を寄せ、平田禿木が『塔』誌上に好意的な批評を書いた。『日本現代詩体系』(矢野峰人編、河出書房新社)第五巻・近代詩<二>に収録。
  4. ^ 竹友藻風”. www6.plala.or.jp. 2024年11月27日閲覧。
  5. ^ https://magazine.einsteinmed.edu/backup/winterspring-2016/in-memoriam-3/
  6. ^ 藤井治彦『竹友藻風選集第二巻「竹友藻風小伝」』南雲堂、1982年、564-565頁。ASIN B000J7DOSO 

参考文献

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