コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

竹村吉右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹村 吉右衛門(たけむら きちえもん、1900年10月11日 - 1984年6月7日)は、日本実業家安田生命保険取締役会長や、同社取締役社長を務め、中興の祖とされた。

人物・来歴

[編集]

秋田県北秋田郡大館町(現・大館市)出身[1]。大館尋常小学校を経て、1918年秋田県立大館中学校(現・秋田県立大館鳳鳴高等学校)卒業。1921年小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業[2][3]。1924年東京商科大学(現・一橋大学)商学部卒業[4]

大学卒業後、安田銀行に入行。安田銀行金融課長、安田銀行小舟町支店長、安田銀行取締役本店営業部長、日本貯蓄銀行専務取締役などを歴任したが、日本の降伏後、公職追放となる[5][6][2]

1950年安田生命保険取締役会長に復帰[7]。同社中興の祖とされる[8]。1953年安田生命保険取締役社長[9]。1965年藍綬褒章受章[10]。1966年日本経営者団体連盟常任理事、経済団体連合会理事[11]。1969年安田生命保険相談役[12]。1970年如水会理事長[5]。1982年一橋植樹会会長[4]

在家仏教を唱えて仏教振興財団の理事長なども務め、1979年には仏教伝道文化賞功労賞を受賞した。浅草寺観音本堂再建、延暦寺横川中堂再建、東洋大学再建などにも尽力。勲三等旭日中綬章受章。1984年に没し、増上寺本堂で葬儀が執り行われた。叙従四位勲二等瑞宝章追贈[5][13][8]。同年遺志により郷里大館市に竹村記念公園及び大館市松下村塾が寄贈された[14][8]

著書

[編集]

参考文献

[編集]
  • 故竹村相談役追想録刊行委員会編『竹村吉右衛門追想録』安田生命保険 1986年

脚注

[編集]
  1. ^ ふるさとへ寄せてあきた(通巻104号) 1971年(昭和46年) 1月1日発行 
  2. ^ a b 松下村塾園遊会鳳鳴会
  3. ^ 竹村吉右衛門追想録
  4. ^ a b 一橋植樹会の歩み一橋植樹会
  5. ^ a b c 如水会の歩み如水会
  6. ^ 小早川洋一「安田善次郎死後の安田財閥の再編成 - 結城・森改革の過程と意義について -」『経営情報学部論集』第1巻第1号、中部大学経営情報学部、1985年1月、27-42頁、ISSN 0910-8874CRID 1050845763477988992 
  7. ^ 安田生命保険(相)『安田生命123年史』(2003.09)渋沢社史データベース
  8. ^ a b c 第3日目大館市役所
  9. ^ 安田生命保険(相)『安田生命123年史』(2003.09)渋沢社史データベース
  10. ^ 安田生命保険(相)『安田生命123年史』(2003.09)渋沢社史データベース
  11. ^ 安田生命保険(相)『安田生命123年史』(2003.09)渋沢社史データベース
  12. ^ 故竹村吉右衛門氏の追想など如水会
  13. ^ 過去の受賞者一覧仏教伝道協会
  14. ^ 大館市松下村塾についてじゃらんネット
先代
安田一
安田生命保険会長
1950年 - 1953年
次代
安田一
先代
武内浩一郎
安田生命保険社長
1953年 - 1969年
次代
水野衛夫
先代
本田弘敏
如水会理事長
1970年 - 1974年
次代
高橋朝次郎
先代
本田弘敏
一橋植樹会会長
1982年 - 1984年
次代
水上達三