竹脇義果
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竹脇 義果(たけわき よしみ、1940年 - )は、元アナウンサー。視覚障碍者のヨットセーリング選手でもある。
人物
[編集]実父に東京中央放送局アナウンサーののち、フリーアナウンサーとなった竹脇昌作。実弟に俳優の竹脇無我。
青山学院大学在学中の1961年にヨット部を設立。卒業後、ラジオ関東(神奈川県)に就職し、アナウンサーの活動を開始したが、1982年、42歳で視力を失い、アナウンサーの活動を断念。その後、実弟・無我の個人芸能事務所「タケワキプロダクション」設立に尽力。無我を俳優に育てるきっかけをつくる。
1996年、日本視覚障碍者セーリング協会設立。自らも1997年、世界ブラインドセーリング選手権大会銅メダル。このアナウンサーからブラインドセーラーになるにあたるまでの経緯は、スポーツライターの軍司貞則が「ブラインドセーリング」というノンフィクション著に現している。
出典
[編集]- 『平安な日々の訪れを』タケワキスタジオ社長 竹脇義果、ききて(アナウンサー)、道傳愛子。NHK「こころの時代」(平成十五年二月二日放送)
- 竹脇無我さんファンの小さな部屋2009/12/9[リンク切れ]