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笠原親景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
笠原 親景
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代前期
生誕 不明
死没 建仁3年9月2日1203年10月8日
別名 十郎
官位 左衛門尉
主君 源頼朝頼家
父母 笠原季頼[1]
比企能員の娘[2][注 1]
野本時基[1]
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笠原 親景(かさはら ちかかげ)は、鎌倉時代前期の武士

生涯

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武蔵国埼玉郡笠原郷(現埼玉県鴻巣市笠原)の武士と思われる[4]源頼朝御家人となり、建久6年(1195年)の頼朝の上洛随兵にその名が見える[5]建仁3年(1203年)の比企能員の変では舅だった比企能員方に属し、能員の子息らとともに一幡の小御所に籠もって北条氏方と戦って戦死した[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『比企氏系図』は能員の姉妹とする[3]

出典

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  1. ^ a b 『大日本史料』4-7, p. 900.
  2. ^ a b 『大日本史料』4-7, pp. 893–898.
  3. ^ 『岩槻市史』, p. 558.
  4. ^ 『埼玉県の地名』, §笠原村.
  5. ^ 『大日本史料』4-4, pp. 811–816.

参考文献

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  • 小野文雄 編『埼玉県の地名』平凡社日本歴史地名大系〉、1993年。ISBN 9784582490114 
  • 岩槻市市史編さん室 編『岩槻市史 古代・中世史料編』 2巻、岩槻市市史編さん室、1983年。