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第七潜水艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 明治37年度計画[1]
起工 1904年11月26日[1]
進水 1905年9月28日[1]
就役 1906年4月5日[1]
除籍 1920年12月1日[1]
性能諸元
排水量 常備:76トン
水中:95トン
全長 26.47m
全幅 2.48m
吃水 2.27m
機関 スタンダード・ガソリン機関1基1軸
水上:250馬力
水中:32馬力
速力 水上:8.5kt
水中:4.0kt
航続距離 水上:8ktで184海里
水中:不明
燃料 ガソリン
乗員 16名
兵装 45cm魚雷発射管 艦首1門
魚雷1本
備考 安全潜航深度:30.5m

第七潜水艇(だいななせんすいてい)は、日本海軍潜水艦第六型潜水艦(ホランド改型、ホーランド改型)の2番艦。第六潜水艇と船体寸法、排水量等が異なるため第七型と別の型に分類する場合もある[2]。後に第七潜水艦と改名。

艦歴

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1904年明治37年)11月26日、川崎造船所で起工[1]1905年(明治38年)9月28日進水。1906年(明治39年)4月5日竣工。第七潜水艇と命名され、種別、潜水艇、潜水艇に類別[1]1908年(明治41年)、呉海軍工廠で竣工時にはなかった司令塔の設置工事を行う[2][3]1916年大正5年)8月4日、二等潜水艇[1]1919年(大正8年)4月1日、第七潜水艦に改称し、三等潜水艦に種別、類別を変更[1]1920年(大正9年)12月1日に除籍。呉で解体された[4]

歴代艦長

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※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

艇長
  • 宮治民三郎 大尉:1906年4月4日 - 1907年9月28日

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『日本海軍史』第7巻、389頁。
  2. ^ a b 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』127頁。
  3. ^ 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』14頁。
  4. ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」16頁。

参考文献

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  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。