第1装甲師団 (人民解放軍陸軍)
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第1装甲師団 | |
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創設 | 1950年10月 |
所属政体 | 中国 |
所属組織 | 中国人民解放軍陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵科 | 機甲兵 |
兵種/任務 | 機甲兵 |
編成地 | 天津 |
上級単位 | 第24軍 |
最終上級単位 | 第24集団軍 |
戦歴 |
国共内戦 朝鮮戦争 |
第1装甲師団(第1装甲师)は、中国人民解放軍陸軍の機甲師団の1つ。第24集団軍に所属する。
歴史
[編集]- 1945年12月1日 - 中国共産党軍最初の戦車部隊、東北延安砲兵学校戦車大隊編成。大隊は、1両の97式中戦車(#功臣号)、兵員30人から成った。東寧、綏陽掃討、靠山屯夜戦、望河鋪強攻等の戦闘に参加した。
- 1947年10月 - 戦車団に拡張され、天津の戦い等に参加
- 1949年2月 - 天津で戦車第1師に改編
- 1949年7月 - 第1師第5団が西北作戦に参加
- 1950年 - 第1師第3団を基盤に中国人民解放軍タンク学校開校
- 1950年8月 - 第1師、天津でタンク第1旅に改編
- 1950年10月 - 中国共産党中央軍事委員会により、タンク第1師と正式命名
- 1951年3月~1953年10月 - 朝鮮戦争に投入され、馬良山、沐浴洞等の戦いに参加。戦時中、21両の敵戦車を撃破した。
- 1997年 - 第2営が情報化装甲混成大隊に指定される。
- 1998年 - 第1装甲師に改称
- 1999年 - 国慶節の閲兵式において、83式152mm自走砲を公開
編制
[編集]師団は、3個装甲連隊、1個装甲歩兵連隊、1個砲兵連隊、1個防空連隊から成る。
師団直属部隊
[編集]- 偵察大隊 (偵察営)
- 化学防護大隊 (防化営)
- 対戦車ミサイル大隊 (反担克導弾営)
- 修理大隊 (修理営)
- 運輸大隊 (運輸営)
装甲連隊
[編集]3個連隊を有する。各連隊は、3個戦車大隊(担克営)、1個装甲歩兵大隊、1個砲兵大隊、1個防空大隊(中隊?)から成る。
79式(69式III)戦車、88式B型戦車を装備する。
装甲歩兵連隊
[編集]1個連隊を有する。連隊は、3個装甲歩兵大隊、1個戦車大隊、1個砲兵大隊、1個防空大隊(中隊?)から成る。
砲兵連隊
[編集]防空連隊
[編集]歴代師団長
[編集]功臣号
[編集]→詳細は「功臣号」を参照
東北担克大隊が初めて装備した97式中戦車(内戦中、47mm砲に換装)は、国共内戦中、5度被弾したが、その度に修理され、戦闘英雄董来扶(後の師参謀長)と共に大きな戦功を立てた。この功績に対し、東北野戦軍特種兵縦隊は、この97式中戦車に「功臣号」の栄誉称号を授与した。1948年8月3日、功臣号は、北平入城式に参加した。1949年10月1日、中華人民共和国建国時の閲兵式において、功臣号は、旧日本軍の戦車99両、装甲車両50両、自動車107両から成る方隊の指揮車を務めた。
1959年に功臣号は退役し、中国人民革命軍事博物館に収蔵された。退役までに11回の国慶閲兵式に参加した。功臣号の付けた車番「102」は、功臣号の栄誉称号と共に59式戦車、69式戦車、69式III型戦車に受け継がれた。1984年の国慶35周年の閲兵式には、董来扶の息子の董薊雄(後の第2営教導員)が4代目功臣号(69式III型戦車)の第16代車長を務めた。
外部リンク
[編集]- 解放軍新一代功臣号坦克採用数字化火控系統(簡体字。2009年1月6日付解放軍画報)