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第10装甲擲弾兵旅団 (ドイツ連邦陸軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第10装甲擲弾兵旅団
創設 1959年5月31日
廃止 1992年8月31日
所属政体 ドイツの旗 ドイツ
所属組織 ドイツ連邦陸軍
部隊編制単位 旅団
上級単位 第4装甲擲弾兵師団
最終位置 バイエルン州 ヴァイデン
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第10装甲擲弾兵旅団(だい10そうこうてきだんへいりょだん、ドイツ語Panzergrenadierbrigade 10)は、ドイツ連邦陸軍旅団の一つ。旅団司令部をバイエルン州ヴァイデンに置き、旅団隷下部隊は主にオーバープファルツに駐屯していた。

歴史

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第2次編制

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1959年、アンベルクのヴィルヘルム皇帝兵舎にてA4戦闘群が編成され、のちに第10装甲擲弾兵旅団に改編・改称されて、第4装甲擲弾兵師団隷下におかれる。同年、旅団司令部はオーバープファルツヴァイデンに移転する。当初の旅団の直轄部隊は司令部中隊、第106補給大隊、第100装甲偵察大隊および第105砲兵大隊から成っていた。

1959年に第100駆逐戦車中隊がヴァイデンにて編成される。第108装甲偵察中隊は1959年に改称の上で旅団直轄部隊として編入され、1963年に司令部中隊偵察小隊として再編成される。1959年に隷下部隊を基幹に第122装甲擲弾兵大隊、第123戦車大隊、第124戦車大隊、第126補給大隊が編成され第12装甲旅団に配転される。1960年、同年にアンベルクに駐屯していた第12装甲旅団隷下の第104戦車大隊が編入された。1960年1月から旅団は師団の教導旅団に指定される。1962年に第100装甲工兵中隊が編成される。1962年、第101装甲擲弾兵大隊(のちに第103装甲擲弾兵大隊に改称)の編成準備がなされる。1964年に第282装甲擲弾兵大隊が第102装甲擲弾兵大隊として旅団隷下となる。

第3次編制

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1970年に旅団は第10猟兵旅団に再編成された。1972年に第100防空中隊と第106特殊武器防護中隊が解隊され、1971年に第104戦車大隊が旅団から離脱し第303戦車大隊に改称し第10装甲師団隷下となる。1971年にプフライムトにて第104駆逐戦車大隊が第100駆逐戦車中隊を母体に編成された。第100補給大隊は解隊されて第100補給中隊と第100整備中隊に成る。1979年に第100駆逐戦車中隊が編成された。

第4次編制

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1981年に旅団は第10装甲擲弾兵旅団に改編・改称され、これに合わせて第101猟兵大隊は第104装甲擲弾兵大隊に、第102猟兵大隊は第102装甲擲弾兵大隊に、第104駆逐戦車大隊は第104戦車大隊に改編された。1992年に第101装甲擲弾兵大隊、第103装甲擲弾兵大隊。第105装甲砲兵大隊および第100装甲工兵中隊が解隊される。1993年に旅団は解隊された。

歴代旅団長

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氏名 着任 離任
1 フリッツ・ラインハルト陸軍大佐
Fritz Reinhardt
1959年3月16日 1960年1月15日
2 ハインツ・フークルハイム陸軍准将
Heinz Hükelheim
1960年1月16日 1962年6月30日
3 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベーメ陸軍大佐
Friedrich Wilhelm Böhme
1962年10月8日 1966年3月31日
4 ヨアヒム=フリチョフ・リントナー陸軍准将
Joachim-Frithjof Lindner
1966年7月1日 1970年9月30日
5 ゴットフリート・グライナー陸軍准将
Gottfried Greiner
1971年4月1日 1973年9月30日
6 オーギュスト=ヴィルヘルム・ヴォーゲル陸軍大佐
August-Wilhelm Vogel
1973年10月1日 1975年1月31日
7 ミヒャエル・シュヴァブ陸軍准将
Michael Schwab
1975年2月1日 1982年3月31日
8 ハンス=ヨアヒム・ミュラー陸軍大佐
Hans-Joachim Müller
1982年4月1日 1984年9月30日
9 ユルゲン・ライヒャルト陸軍准将
de:Jürgen Reichardt
1984年10月1日 1988年3月31日
10 ヴォルフガンク・ザント陸軍准将
Wolfgang Sand
1988年4月1日 1992年3月31日
11 ミヒャエル・ヴァルター陸軍大佐
Michel Walther
1992年 1992年8月 

脚注

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外部リンク

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