第112師団 (日本軍)
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第112師団 | |
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創設 | 1944年(昭和19年)7月12日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 満州 琿春 |
編成地 | 満州 |
通称号/略称 | 公(きみ) |
補充担任 | 久留米師管区 |
最終上級単位 | 第3軍 |
最終位置 | 満州 琿春 |
戦歴 |
太平洋戦争 (ソ連対日参戦) |
第112師団(だいひゃくじゅうにしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
沿革
[編集]太平洋戦争中期以降、多くの師団が満州から南方に転用されたため、1944年(昭和19年)7月、琿春において第111師団と同様に第9独立守備隊を基幹とし、宮古島に転用された第28師団の残留者が加わり第112師団が編成され第3軍に編入。編成後、満州東部のソ連国境の南端に位置する琿春、間島地区の警備と治安維持に当る。
1945年(昭和20年)8月9日、ソ連軍の侵攻(ソ連対日参戦)を受け、多くの犠牲を出しながら琿春の防衛に当たった。8月17日、第1方面軍の命により停戦し、翌日に中村師団長、安木参謀長が自決した。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]- 中村次喜蔵 中将:1944年(昭和19年)7月14日 - 1945年8月18日
参謀長
[編集]- 安木亀二 大佐:1944年(昭和19年)7月14日[1] - 1945年8月18日
最終司令部構成
[編集]- 参謀長:安木亀二大佐
- 参謀:高杉覚中佐
- 副官:兼子兼治郎中佐
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第246連隊(福岡):山本稜威大佐
- 歩兵第247連隊(大村):西崎逸雄大佐
- 歩兵第248連隊(久留米):広瀬利善大佐
- 野砲兵第112連隊:塚本清太郎少佐
- 第112師団工兵隊:
- 第112師団通信隊:尾形茂人大尉
- 第112師団挺進大隊:佐野隆夫少佐
- 第112師団輜重隊:竹内岱雲少佐
- 第112師団兵器勤務隊:
脚注
[編集]- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』444頁。
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。