第2教育連隊
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第2教育連隊(だいにきょういくれんたい、2nd Traning Regiment)とは相浦駐屯地にあった第3教育団隷下の教育部隊。
概要
[編集]自衛隊発足当時、各方面隊にはそれぞれ独自に中隊規模の新隊員教育隊が編成されていたが、教育内容の不斉一や運用上の不都合などの問題から、これらの教育隊を統合し教育連隊が編成される事となった。その流れを組んで編成されており、主に西部方面隊管内の新隊員(2等陸士)の前期教育を担任していた。1969年(昭和44年)8月、第118教育大隊への改編に伴い廃止となった[1]。
沿革
[編集]第8新隊員教育隊
第2教育連隊
- 1959年(昭和34年)8月13日: 第8新隊員教育隊が第2教育連隊へ改編。第3教育団(別府駐屯地)の隷下部隊となる。
- 1969年(昭和44年)8月1日: 第118教育大隊への改編に伴い廃止[1]。
主要幹部
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 舟津円之助 | 1959年 | 8月13日 - 1962年 7月31日第5陸曹教育隊長 | 第3教育団本部付 |
2 | 下薗秀男 | 1962年 | 8月 1日 - 1965年 3月15日自衛隊宮崎地方連絡部長 | 健軍駐とん地業務隊長 |
3 | 角口憲基 | 1965年 | 3月16日 - 1967年 7月16日陸上幕僚監部法務課法務班長 | 自衛隊大分地方連絡部長 |
末 | 梅田陸善 | 1967年 | 7月17日 - 1969年 7月31日陸上自衛隊富士学校機甲科教育部 戦術班長 |
西部方面総監部総務課長 |