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第21期本因坊戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第21期本因坊戦(だい21きほんいんぼうせん)

囲碁の第21期本因坊戦は、1965年昭和40年)に挑戦者決定リーグ戦を開始し、1966年4月から本因坊栄寿(坂田栄男)に、藤沢秀行九段が挑戦する七番勝負が行われ、坂田が4連勝で防衛、6連覇を果たした。また坂田は本因坊戦挑戦手合での連勝記録を14に伸ばした。

方式

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  • 参加棋士 : 日本棋院関西棋院棋士の初段以上。
  • 予選は、日本棋院と関西棋院それぞれで、1次予選、2次予選を行う。
  • 挑戦者決定リーグ戦は、前期シード者と新参加4名を加えた8名で行う。
  • コミは4目半。
  • 持時間は、2次・3次予選は各6時間、リーグ戦は各9時間、挑戦手合は各10時間。

経過

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予選トーナメント

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新規リーグ参加者は、前期陥落即復帰の林海峰名人、2度目のリーグ参加の加納嘉徳八段、初参加の榊原章二八段、大竹英雄七段の4名。

挑戦者決定リーグ

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リーグ戦は前期シードの、前期挑戦者山部俊郎、及び橋本宇太郎高川格藤沢秀行と、新参加4名で、1965年11月24日から翌年3月23日までで行われた。藤沢と高川が5勝1敗同士で最終局で対戦し、勝った藤沢が6勝1敗で、15期に続き2度目の本因坊戦挑戦者となった。前年に坂田を破って名人となった林と大竹の「竹林」コンビは揃って陥落となった。

出場者 / 相手
山部
橋本
高川
藤沢
加納
榊原
大竹
順位
山部俊郎 - × × × 4 3 3
橋本宇太郎 - × × × 4 3 3
高川格 × - × 5 2 2
藤沢秀行 × - 6 1 1
林海峰 × × × - × 3 4 5(落)
加納嘉徳 × × × × × - × 1 6 8(落)
榊原章二 × × × × - 3 4 5(落)
大竹英雄 × × × × × - 2 5 7(落)

挑戦手合七番勝負

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坂田本因坊に藤沢秀行が挑戦する七番勝負は1966年4月から開始された。坂田は前年に名人、この1月に日本棋院選手権戦大平修三に奪われており、藤沢は前年にプロ十傑戦、この年に囲碁選手権戦に優勝して昇り調子で、事前の予想では藤沢がやや有利と見られ、高川格は「藤沢君は最近絶好調。しかし、坂田君はなんと言っても一流の強さがある。やはり七局いっぱいで戦い、最後の握りで黒を持った方が若干有利か」[1]と述べた。

第1局は神奈川県箱根の石葉亭で行われ、序盤で先番藤沢がリードしたが、白番坂田が絶妙のシノギを見せて勝利。第2局は松山市道後の中村旅館で行われ、中盤まで白番藤沢が優勢とされていたが、坂田が強手を連発して逆転し、2連勝。第3局は三重県長島温泉ホテル・ナガシマで行われ、先番藤沢が序盤で左辺から下辺の戦いでうまく打ちまわし、中盤で疑問手が出て中央のに不安定な黒石ができて苦しくなり、210手まで白番坂田が中押勝して、3連勝。

第4局は大分県別府市城島高原のベップニューグランドホテルで行われた。先番坂田に序盤で緩着があり、白番藤沢の手厚い形となり、中盤でも坂田は勝負手を逃し必敗の形勢となる。しかし右上隅の黒地に侵入した白石の攻め合いの手順を間違え、白有利だった攻め合いが逆転してしまい、207手まで先番坂田中推勝ち、また坂田は19、20期に続いて3期連続で4連勝で6連覇を果たし、本因坊戦での連勝記録も14とした。

この年の坂田は、続いて名人戦で林海峰にリターンマッチを挑むが敗れ、王座戦決勝では林を2-1で破って優勝、続く十段戦では高川格に挑戦して3-1で初の十段位獲得を果たしている。

七番勝負(1966年)(△は先番)
対局者
1
4月27-28日
2
5月6-7日
3
5月15-16日
4
5月25-26日
5
-
6
-
7
-
本因坊栄寿 ○中押 ○1目半 ○中押 ○中押 - - -
藤沢秀行 × × × × - - -

対局譜

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第4局(1-50手目)
「大失着で逆転」第21期本因坊戦挑戦手合七番勝負第4局 1966年5月25-26日 本因坊栄寿(先番)-藤沢秀行九段

黒39はしぶいツメだが、白40で間に合わされて42に回られてはやや疑問。39では左辺に回るのが普通で、41で手抜きも考えられた。49では33の左上に打って白を分断しておくべきで、左下の黒石には心配はない。





第4局(139-157手目)

黒1(139手目)は中央黒を安全にした手だが、白2で隅を荒らされて自愛のバランスが崩れた。黒5では14にツギ、隅の白を生かしても白の大石の攻めに勝負をかけるしかなかった。黒9では11に打ち、以下隅の攻め合いでコウになるのを選ぶしかなたった。しかし黒13に白14と切ったのが大失着で、この手では白16、黒18を交換してから14と打つべきで、続いて黒15、白14の右下、黒3の下、白1の7、黒15の左、白1の6、黒11の左(2目抜き)、白19で攻め合いは白勝ちだった。実戦は黒15、白16、黒17と打たれて攻め合いが逆転してしまった。坂田は14で16なら投了するつもりだったという[2]。これでも微妙な形勢だったが、藤沢は気落ちしてこの後も正確さを欠いて黒の中押勝ちとなった。

第3局(73-104手目)
「難局を勝利」第21期本因坊戦挑戦手合七番勝負第3局 1966年5月15-16日 本因坊栄寿-藤沢秀行九段(先番)

左辺からの戦いが下辺に拡がり、白番坂田のサバキがやや重くやや立ち遅れた。黒1(73手目)とツケた時の白2が大悪手だったという。黒3の切りに白4、6と左の方に力が入り、黒に右下に先着された。2では単に白4に打ち、黒3に白17と押して形を整えるところ。黒7から13まで黒が攻勢にたった。ここで坂田は2時間57分の大長考で、「やっちゃえ」という掛け声とともにら白14の切り[3]。ここで黒21がチャンスを逃した。白は22、24を利かして26の抱えにまわり、黒27には白32まで、黒が浮石となって白が面白い形勢になった。21では白のダメを詰めて27とハネ、白32に14の右にアテ、白ツギなら黒21の左にツイで、右辺と下辺の白を睨む形を目指すべきだった。この後白は黒の浮き石を攻めながら上辺を厚くし、さらに左辺黒にも攻めかかり優勢を確立した。

リーグ戦(27-58手目)
「青年名人を破る」第21期本因坊戦リーグ戦 1965年11月24日 林海峰名人-藤沢秀行九段(先番)

前年に坂田を破って新名人となった林は、本因坊戦では2度目のリーグ入り、「竹林」と並び称せられた大竹もリーグ入りとなったが、林は3勝4敗、大竹が2勝5敗とともに陥落となった。林はリーグ初戦で藤沢と対戦。先番藤沢が序盤右上、右下で地を固め、左上隅で黒11(37手目)の利かしに対して白は12、14と手厚く応じ、黒31まで黒が地を稼ぎ、白が上辺を厚くする展開となった。黒は上辺の黒石を捨て石にして、右辺の白を分断して攻め上げ左辺を地にまとめ、黒4目半勝とした。

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  1. ^ 『炎の勝負師 坂田栄男2 碁界を制覇』
  2. ^ 『本因坊名勝負物語』
  3. ^ 『炎の坂田血風録 不滅のタイトル獲得史』

参考文献

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  • 坂田栄男『囲碁百年 3 実力主義の時代』平凡社 1969年
  • 林裕『囲碁風雲録(下)』講談社 1984年
  • 坂田栄男『炎の坂田血風録 不滅のタイトル獲得史』平凡社 1986年
  • 坂田栄男『炎の勝負師 坂田栄男2 碁界を制覇』『炎の勝負師 坂田栄男3 栄光の軌跡』日本棋院 1991年
  • 井口昭夫『本因坊名勝負物語』三一書房 1995年
  • 中山典之『昭和囲碁風雲録(下)』岩波書店 2003年