第25独立親衛自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)
第25独立親衛自動車化狙撃旅団 | |
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創設 | 1940年8月18日 |
所属政体 |
ソビエト連邦 → ロシア |
所属組織 | ロシア陸軍 |
部隊編制単位 | 旅団 |
兵科 | 自動車化狙撃兵 |
兵種/任務 | 機甲戦 |
所在地 | レニングラード州ルーガ |
愛称 |
ラトビアの狙撃兵 セヴァストポリ |
上級単位 | 第6諸兵科連合軍 |
戦歴 |
第二次世界大戦 ロシアのウクライナ侵攻 |
指揮官 | イワン・スメルドフ大佐 |
第25独立親衛自動車化狙撃旅団(だい25どくりつしんえいじどうしゃかそげきりょだん、ロシア語: 25-я отдельная гвардейская мотострелковая бригада)は、ロシア陸軍の旅団。第6諸兵科連合軍隷下。
概要
[編集]第二次世界大戦
[編集]1940年8月18日、第二次世界大戦の影響に伴い、赤軍第153狙撃師団隷下の第666狙撃連隊としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国で創設された。
1941年7月から独ソ戦に投入され、枢軸国に勝利し、赤旗勲章、名誉称号「親衛隊」、「セヴァストポリ」を授与され、第13親衛狙撃連隊に改称された。
冷戦
[編集]1952年4月、リトアニア・ソビエト社会主義共和国に移駐した。
1956年5月、ラトビア・ソビエト社会主義共和国に移駐した。
1957年6月、機械化に伴い、第13親衛自動車化狙撃連隊に改編された[1]。
1963年3月、訓練部隊化に伴い、第13親衛訓練自動車化狙撃連隊に改編された[2]。
ロシア陸軍
[編集]1992年5月、ソビエト連邦の崩壊とロシアの独立で創設されたロシア陸軍に編入した。
1992年9月、部隊増強に伴い、第25独立親衛自動車化狙撃旅団に改編された[2]。
ロシアのウクライナ侵攻
[編集]北東部・ハルキウ戦線
[編集]2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻ではロシア・ベルゴロド州に配備され、第6諸兵科連合軍の隷下部隊として第1親衛戦車軍と合同で攻勢を開始したが、5月に北東部ハルキウ州ハルキウ地区で撃退された[3][4]。
北東部・クプヤンシク戦線
[編集]2023年10月、北東部ハルキウ州クプヤンシク地区に再配置され、第138独立親衛自動車化狙撃旅団と合同で攻勢を開始したが、12月にシンキウカのキルゾーンで7回撃退されるのが視覚情報で確認されるなど苦戦し、2024年3月に大損害を受けて撃退された[5][6]。
北東部・ハルキウ戦線
[編集]2024年5月、戦略予備としてロシア・ベルゴロド州に再配置され、第138独立親衛自動車化狙撃旅団と合同で攻勢を開始し、北東部ハルキウ州チュフイウ地区に展開した[7]。動員兵で充足されてヴォウチャンシクを2日間で占領する計画で進撃したが[8]、ロシアのSNS上で親族による兵士の安否確認や行方不明者捜索願が増え始めるなど徐々に雲行きが怪しくなり、6日間の戦闘で投入した部隊が全滅した[9]。
編制
[編集]- 旅団司令部(ルーガ)
- 第1自動車化狙撃大隊
- 第2自動車化狙撃大隊
- 第3自動車化狙撃大隊
- 戦車大隊
- 旅団砲兵群
- 本部中隊
- 第1自走砲大隊
- 第2自走砲大隊
- ロケット砲大隊
- 対戦車砲大隊
- 防空大隊
- 偵察大隊
- 工兵大隊
- 通信大隊
- 兵站大隊
- 狙撃中隊
- 整備中隊
- 電子戦中隊
- NBC防護中隊
- 衛生中隊
- 無人機中隊
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 第3親衛自動車化狙撃師団 The Luftwaffe, 1933-45
- ^ a b c 第24訓練戦車師団 The Luftwaffe, 1933-45
- ^ Russian Offensive Campaign Assessment, March 8 戦争研究所
- ^ ロシア軍、第2都市ハルキウから完全撤退か 反撃に対応できず被害 朝日新聞デジタル
- ^ What’s The Definition Of Insanity? The Russians Trying The Same Failed Tank Assault Seven Times Across The Same Minefield. フォーブス
- ^ Russian Offensive Campaign Assessment, April 28, 2024 戦争研究所
- ^ Russian Offensive Campaign Assessment, May 14, 2024 戦争研究所
- ^ アントン・ヘラシチェンコ X
- ^ Ukraine War, 24 May 2024 (UPDATED) トム・クーパー