第3機甲師団 (ヨルダン陸軍)
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第3機甲師団 | |
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創設 | 1969年 |
廃止 | 2018年 |
所属政体 | ヨルダン |
所属組織 | ヨルダン陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 機甲師団 |
人員 | 15,000人 |
所在地 | アンマンムワッカル |
戦歴 |
第一次中東戦争 第二次中東戦争 消耗戦争 ヨルダン内戦 第四次中東戦争 |
アブドゥッラー2世第3機甲師団(アブドゥッラー2せいだい3きこうしだん、阿: 3فرقةالملكعبداللهالثانيالمدرعة)は、ヨルダン陸軍の機甲師団である。1969年に編制され、2018年に非活性化された。
概要
[編集]ヨルダン陸軍の戦略予備として、首都アンマン北東のザルカと南のカトラネ間に展開していた[1][2][3][4][5][6]。このうち、カトラネは死海湖岸沿いの進攻経路に対する戦略的要衝となっていたことから、隷下の第40機甲旅団が駐屯していた。
アメリカ合衆国の軍事アナリストであるケネス・M・ポラックは、2002年に「1948年から1956年の期間中、アラブ軍団(現ヨルダン軍)は他のアラブ諸国軍より遥かに優秀だった」と評しており、敵対するイスラエルは最大の脅威と捉えていた。しかし、1956年以降、ヨルダン軍の能力が低下し始めたなかにおいても、第3機甲師団隷下では第40機甲旅団が高い練度を維持しており[7]、1973年の第四次中東戦争では同旅団がゴラン高原戦線に派遣されてシリア軍を支援し、イスラエル軍との戦闘で重要な役割を果たした。
1992年1月にアブドゥッラー2世国王が同旅団隷下の第2王立機甲大隊の大隊長に就任し、1993年には大佐となった[5]。
2018年には部隊改編に伴い、師団司令部と隷下の第91王立機甲旅団が非活性化され、第40及び第60機甲旅団等がヨルダン中央軍団隷下に編入された。
非活性化時の部隊編成
[編集]- 第3機甲師団司令部
- 第3通信群
- 野戦偵察大隊
- フセイン国王第40機甲旅団
- 第91王立機甲旅団
- 師団砲兵
- 第3王立野戦防空群
- 師団工兵大隊
- 補給輸送大隊
- 管理輸送大隊
- 衛生支援群
- 工事群
- 整備群
- 師団訓練センター
主要装備
[編集]- アル・フセイン戦車
- M113A2装甲兵員輸送車
- AIFV歩兵戦闘車
- M106A2 107mm自走迫撃砲
- M109A3L 155mm自走榴弾砲
- M110A2 203mm自走榴弾砲
- M901自走対戦車ミサイル
- M163対空自走砲
- ゲパルト自走対空砲
- ZSU-23-4自走対空砲
- 9K33自走地対空ミサイル
- 9K35自走地対空ミサイル
- M577A2移動指揮車
- M88装甲回収車
- M578軽回収車
- チーフテン ARV装甲回収車
- YPR-806装甲回収車
- ハンヴィー
- M35 2.5tトラック
- FMTVトラック
- M113A2装甲救急車
- M997救急車
- キャタピラー D6装甲ブルドーザー
- キャタピラー D7G/R装甲ブルドーザー
- キャタピラー D8R装甲ブルドーザー
- キャタピラー D9装甲ブルドーザー
- コマツ D155A装甲ブルドーザー
- CAT 924Hホイールローダー
- CAT 966Hホイールローダー
- 油圧ショベル
- バックホー
- モーターグレーダー
- ダンプカー
脚注・出典
[編集]- ^ “Archived copy”. 2013年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月30日閲覧。
- ^ Rubin, Barry M; Keaney, Thomas A (2002). Armed Forces in the Middle East: Politics and Strategy. ISBN 978-0-7146-5255-9[リンク切れ]
- ^ http://www.janes.com/extracts/extract/emedsu/jords100.html
- ^ “Jordan”. 2014年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月17日閲覧。
- ^ a b “ihracat.ssm.gov.tr”. 2009年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月14日閲覧。
- ^ IISS Military Balance 2004–2005, p.127-128
- ^ Kenneth Pollack, Arabs at War, Council on Foreign Relations/University of Nebraska Press, 2002, p.355