第31軍 (日本軍)
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第31軍 | |
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創設 | 1944年(昭和19年)2月18日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 軍 |
所在地 |
南洋諸島北部支庁ガラパン町 (現・北マリアナ連邦) |
通称号/略称 | 備 |
最終上級単位 | 大本営陸軍部 |
担当地域 | 南洋諸島 |
最終位置 |
南洋諸島東部支庁ウェノ村 (現・ミクロネシア連邦チューク州) |
戦歴 | 第二次世界大戦 |
第31軍(だいさんじゅういちぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。
沿革
[編集]1944年(昭和19年)2月に編成され、南洋庁の北部支庁管内に配置された南部マリアナ地区集団及び北部マリアナ地区集団、東部支庁管内に配置されたトラック地区集団並びにその他の直轄部隊から構成され総兵力は8万名に及び、中部太平洋方面を作戦地域とした。
司令部をサイパン島に置き、アメリカ軍の侵攻に備えていたが、小畑英良軍司令官のパラオ方面出張中にサイパン島の戦いが開始され、司令官一行はサイパン島に戻ることができずグアム島にて指揮を執ることとなった。
サイパン島の戦いにおいて、帝國陸海軍は決定的敗北を喫し、現地にて司令官の代行として指揮を執っていた参謀長・中将井桁敬治が自決。その後のグアム島の戦いにおいても敗北すると、小畑と井桁の後任の参謀長だった中将田村義富も自決、第31軍司令部は壊滅状態となる。
→詳細は「グアムの戦い (1944年) § 日本軍の壊滅と掃討戦」、および「サイパンの戦い § 合同司令部自決」を参照
その後トラック島に駐留していた第52師団を中心に第31軍を再編し、終戦まで現地自活により軍団を存続させることに成功。1945年(昭和20年)10月以降、武装解除の上順次本土へ帰還した。
軍概要
[編集]歴代司令官
[編集]歴代参謀長
[編集]歴代参謀副長
[編集]- 公平匡武少将:1944年6月19日 - 7月18日サイパン島で戦死
最終司令部構成
[編集]- 司令官:麦倉俊三郎中将
- 高級参謀:伊藤盛逸大佐
- 高級副官:鈴木次郎中佐
- 経理部長:岡林直樹主計大佐
- 軍医部長:大石一朗軍医大佐
最終所属部隊
[編集]- 第52師団
- 独立混成第50旅団:北村勝三少将(最終位置:メレヨン島)
- 独立混成第51旅団:伊集院兼信少将(最終位置:トラック島)
- 独立混成第52旅団:渡辺雅夫中将(最終位置:ポナペ島)
- 独立混成第9連隊:天羽馬八大佐(終戦時は少将)(最終位置:パガン島)
- 独立混成第10連隊:今川芳男少佐(最終位置:ロタ島)
- 独立混成第11連隊:中村助之大佐(最終位置:エンダービー島)
- 独立混成第13連隊:近森重治大佐(最終位置:ウェーク島)
- 南洋第1支隊:大石千里大佐(最終位置:ミレ島)
- 南洋第2支隊:原田義和少将(最終位置:クサイ島)
- 南洋第4支隊:飛田正武大佐(最終位置:モートロック島)
- 工兵・船舶関連部隊
- 独立工兵第9連隊:金沢義重中佐
- 船舶工兵第16連隊:恒川政市少佐
- 第58碇泊場司令部:中野潭中佐
- 第60碇泊場司令部:斎藤肇大佐