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第6軍団事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第6軍団事件(だい6ぐんだんじけん)[1]または第6軍団クーデター事件[2]、第6軍団クーデター未遂事件[3][4]は、1995年朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で発生したクーデター未遂事件。咸鏡北道清津市に駐屯する朝鮮人民軍陸軍第6軍団政治委員を中心に、下級部隊の指揮官と清津市の行政機関の関係者が金正日体制を転覆させようというクーデターを謀議したが、事前に発覚し関係者はことごとく処刑された[1]。ただし、実際には金正日の腹心である金永春が昇進するために捏造したという説もある。

背景

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第6軍団が駐屯していた清津市は日本海に面し国境に近く、軍団は密輸を含む貿易やそれに伴う賄賂で外貨を獲得していた。

1991年ソ連崩壊による経済援助の激減と、1980年代以降の計画経済の行き詰まりの影響は、朝鮮人民軍にも押し寄せていた。補給不足に陥った軍は、それを補うために事業による外貨獲得を奨励しており、日本海と国境地帯に位置する第6軍団も中華人民共和国(中国)との密輸[1]を含む貿易や、それに伴う賄賂で多額の外貨を獲得していた[5]

また、配給制度の停滞により1994年頃には食料配給は成人1人当たりでも1日200グラムに満たなくなり[5]餓死する市民が発生するなど食料難[注釈 1]が発生した。食糧難は軍においても同様で、兵士が食料を求めて民家を襲撃する事件が頻発し、士気の低下に繋がっていた[5]。清津市では闇市が自然発生し、無許可の食堂が営業されていた。食堂の常連客は第6軍団の兵士で、畑から窃盗したトウモロコシを持ち込んでにするよう頼み込み、対価としてその一部を置いていった[2]

計画

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朝鮮労働党の党員である政治委員は軍団長に知られることなく、外貨獲得で確保した資金を通じて賛同する勢力を拡大し、具体的な実行計画を立てた[1]。第6軍団には、政治委員や軍内部の防諜などを監視する朝鮮人民軍保衛局(現・朝鮮人民軍保衛司令部)の局員も配属されていたが、彼らまでもが政治委員の計画に加担した[5]。1994年7月8日、国家主席金日成が死去し翌7月9日に発表された。金正日が実権を握っていたが、権力の空白を狙った第6軍団の政治委員は軍団の幹部数十人を抱き込み、クーデターを画策した[4]

クーデター計画は、軍団長の説得と2段階の平壌制圧、さらに大韓民国軍アメリカ軍の引き込みからなる。まず政治委員が軍団長を説得し、失敗した場合は旧正月の宴席で軍団長を毒殺する[5][注釈 2]。そして、特殊部隊平壌に派遣して金正日の執務室や朝鮮中央放送を制圧し、主力部隊は「クーデター鎮圧」を名目に進軍。平壌の防衛を担当する護衛総局(現・護衛司令部)や平壌防御司令部を制圧し、首都機能を完全に掌握する。進軍が失敗しないように、清津市に隣接する羅津区域羅津港に大韓民国軍やアメリカ軍を引き入れ、後方からの反撃を防ぐ予定だった[6]

発覚

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クーデター計画を知った金正日は、金永春を用いて第6軍団を鎮圧した。

しかし脱北した元朝鮮人民軍兵士によると、軍団の保衛局に所属する下級将校の密告でクーデター計画が金正日の元に届き、1995年3月、金正日は腹心の金永春を新たな軍団長として派遣した[3][4][6]

羅南区域にある第6軍団の司令部[2]に着任した金永春は、部隊の統制が困難であると金正日[6]と軍保衛司令部の元応煕部長[7]に報告し、1995年4月からと共に鎮圧に乗り出した[1][6]。首謀者は軍団指揮官の会議で逮捕され、手足を縛られた上でトラックに積み込まれて連行された[6]。政治委員は逮捕直前、取り囲んだ兵士たちに「何だ貴様ら!」と一喝したが、腹部にボディブローを受けてその場に倒れこんだ[4]

軍団の将校40人を含む300人以上が逮捕され、処刑されるか収容所に送られた。また、咸鏡北道の党委員会書記ら行政部門の幹部や警察、秘密警察である国家安全保衛部(現・国家保衛省)の幹部も、計画に関わった嫌疑で捜査の対象となった[6]ジョンズ・ホプキンズ大学米韓研究所の客員研究員によると、上級指揮官は縛られたまま兵舎に放置され、建物に火を放たれ焼殺に処された[7]。匿名希望の脱北者によると、関係者の親戚まで処刑され、第6軍団は解体された[1]。計画に関わっていない兵士も夜中にトラックで移動させられ、羅南には新しい部隊が配属された[2]

西側諸国がクーデター未遂事件を知ったのは、1996年5月のことだった。MiG-19で韓国に亡命した朝鮮人民軍空軍の李哲洙大尉は、亡命直後の記者会見で軍内部の組織的反乱の有無について問われた際、「1995年4月、6軍団の政治指導員が大韓民国と内通したので、軍団そのものを解体したという話を聞いた。」と答えた[6]

捏造説

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李相哲や複数の脱北者などによると、金正日や金永春が腐敗していた第6軍団を反逆者に仕立て、クーデター計画を捏造したとする説がある。

李相哲は、第6軍団の兵力では平壌の制圧が難しく、組織的な政府転覆計画にもかかわらず逮捕者が数百人に過ぎないことから、大規模な密輸で巨額の利益を得た上に軍団長に従わない第6軍団の粛清と軍紀の引き締め、そして見せしめのために、金正日が金永春を派遣したと主張した[6]

アメリカ海軍分析センター国際情勢グループ責任者は、第6軍団が得ていた利益の獲得争いだった可能性を指摘していた[7]

2016年に韓国に亡命した元駐英北朝鮮公使の太永浩は、クーデター計画自体が金永春が昇進に利用するための捏造だったと主張しており、第6軍団の幹部が外貨獲得事業に投合していたのは事実だが、クーデター計画は事実無根という噂が出回ったという[3][4]

東亜日報』の記者で脱北者であるチュ・ソンハは、「最高幹部」が親戚に語った話として、軍歴の無い金正日が朝鮮人民軍を掌握するため第6軍団が密輸で腐敗していると判断し、自分の恐ろしさを見せつけるため第6軍団を生贄にしたとしている[4]

影響

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クーデター計画を阻止し鎮圧した金永春軍団長は10月8日に朝鮮人民軍次帥の称号を与えられ、12日には朝鮮人民軍総参謀部総参謀長に昇進したことが明らかになった[3][8]。その後も金正日の側近として人民武力部(現・国防省)部長や国防委員会副委員長などを歴任し、元帥に昇進。2018年8月16日3時10分に82歳で死去した[9]。葬儀は国葬で行われ、金正日の子で権力を継承した金正恩朝鮮労働党委員長は、雨の中で傘を差さずに参列し金永春への敬意を示した[3]

北朝鮮ではクーデター未遂事件を、韓国の金泳三政権がスパイを送り込んで企てた反乱事件とされている[6]。第6軍団は、体制を転覆させようとした部隊を歴史から消すという点から再建されず[1]、名目上第9軍団に改称されたため[6]事実上の欠番となっている。2020年10月10日に行われた朝鮮労働党結党75周年記念閲兵式の録画放送でも、第1軍団から第12軍団の内、第6軍団のみ名称や軍団の位置、軍団長の名前、地位が紹介されなかった[1]

脚注

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  1. ^ 主体農法青山里方式による農業政策の失敗で、いわゆる「苦難の行軍」と呼ばれる飢饉も起きていた。なお、第6軍団事件は苦難の行軍の真っ只中に起きたとされている[4]が、北朝鮮の飢饉が深刻化したのは1995年の7月から8月に発生した水害以降である。
  2. ^ 李相哲は、実際に金永春の前任の軍団長は毒殺されたとしている[6]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h “95年の「クーデター謀議」悪夢…金正恩委員長、閲兵式で「第6軍団」消す”. 中央日報. (2020年10月15日). https://japanese.joins.com/JArticle/271204?sectcode=500&servcode=500 2024年10月27日閲覧。 
  2. ^ a b c d 萩原遼 (2003年5月14日). “コラム 第6軍団クーデター事件”. 民団新聞. https://www.mindan.org/old/front/newsDetailcfba.html 2024年10月27日閲覧。 
  3. ^ a b c d e 高英起 (2018年8月29日). “家族もろとも政敵を抹殺…金正恩氏がメスを入れる「父の時代」の闇”. - 個人 - Yahoo!ニュース. https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3c5c87f7f09c81a3fa8dd94d2d78769542e64c96 2024年10月27日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g 高英起 (2020年9月23日). “「軍幹部はボディブローで崩れ落ちた」北朝鮮“クーデター未遂”の真相”. - 個人 - Yahoo!ニュース. https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/295571aff825592e4e15e6b61966df8b3aec56ab 2024年10月27日閲覧。 
  5. ^ a b c d e 李相哲 (2016年1月12日). “金正日秘録(58)「6軍団クーデター未遂」の真実 書き換えられたシナリオ、対中密輸で巨利得た末…(1/2ページ)”. 産経ニュース. https://www.sankei.com/article/20160112-VA5DDOW5HFP7JBQK4V7364WCOI/ 2024年10月27日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k 李相哲 (2016年1月12日). “金正日秘録(58)「6軍団クーデター未遂」の真実 書き換えられたシナリオ、対中密輸で巨利得た末…(2/2ページ)”. 産経ニュース. https://www.sankei.com/article/20160112-VA5DDOW5HFP7JBQK4V7364WCOI/2/ 2024年10月27日閲覧。 
  7. ^ a b c アダム・ロンズリー (2017年7月21日). “北の最高指導者が暗殺されない理由”. ニューズウィーク. https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-8026_4.php 2024年10月27日閲覧。 
  8. ^ アジア動向年報, p. 92, 重要日誌
  9. ^ “金正日氏側近の金永春氏が死去 北朝鮮の軍統制”. 47News. 共同通信社. (2018年8月17日). オリジナルの2020年12月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180817124923/https://this.kiji.is/402970535065044065?c=39546741839462401 2024年10月27日閲覧。 

参考文献

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  • 中川雅彦「「偉大な首領」の死去 : 1994年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア動向年報 1995年版』、アジア経済研究所、1995年、67-90頁、doi:10.20561/00038838hdl:2344/00002235ISBN 9784258010950。「ZAD199500_010」 

関連項目

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