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第805戦車駆逐大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第805戦車駆逐大隊
創設 1941年12月15日
廃止 1945年
所属政体 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
所属組織 アメリカ陸軍
戦歴 第二次世界大戦
*北アフリカ戦線
**カセリーヌ峠の戦い
**エル・グェタルの戦い英語版
*イタリア戦線
**ベルンハルト線英語版
**モンテ・カッシーノの戦い
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第805戦車駆逐大隊英語: 805th Tank Destroyer Battalion)は、第二次世界大戦中に活動したアメリカ陸軍戦車駆逐大隊である。

本大隊は1941年12月15日、対戦車部隊の再編の一環として第105対戦車大隊から編成された。翌年1942年8月にイギリスに移動し、1943年1月にM3 75mm対戦車自走砲を装備して北アフリカ戦線に参戦した。短期間第34歩兵師団英語版(司令官:チャールズ・W・ライダー英語版少将)に所属したが、カセリーヌ峠の戦いのさなかの2月20日第1機甲師団(司令官:ブルース・マグルーダー少将)隷下となった。同戦闘ではロンメル将軍率いる枢軸国軍に手痛い損害を被る。3月23日、駆逐戦車M10を装備してエル・グェタルの戦い英語版に参加。

1943年10月、牽引砲大隊に転換。対戦車砲M5 3インチ砲と共にイタリアへと渡り、同月25日にナポリに到着した。1944年1月、再び第34歩兵師団隷下となり、ベルンハルト線英語版モンテ・カッシーノの戦いで師団を支援した。6月、第1機甲師団隷下となる。

1944年夏、駆逐戦車M18を装備。主に間接射撃任務に使用された。北部へと進撃する間も所属部隊を転々とし、1945年4月21日ボローニャ陥落の日に第34歩兵師団に配属。5月初旬にドイツ・イタリア国境(当時)のブレンナー峠に到着した際には、第88歩兵師団英語版(司令官:ポール・ウィルキンズ・ケンダル英語版隷下となった。

参考

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  • Yeide, Harry (2007). The tank killers: a history of America's World War II tank destroyer force. Casemate. ISBN 978-1-932033-80-9 
  • US Tank and Tank Destroyer Battalions in the ETO 1944–45, by Steven J. Zaloga. Osprey Publishing, 2005. ISBN 1-84176-798-0
  • Tankdestroyer.net (Web based United States tank destroyer forces information resource) Tankdestroyer.net