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第5SS山岳軍団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第VSS山岳軍団から転送)
第5SS山岳軍団
V. SS-Gebirgs-Korps
第5SS義勇山岳軍団
V. SS-Freiwilligen-Gebirgs-Korps
創設 1943年7月1日
廃止 1945年5月
所属政体 ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
所属組織 武装親衛隊
部隊編制単位 軍団
所在地 ベルリン
編成地 ミロヴィッツ英語版
上級単位 F軍集団
最終上級単位 ヴァイクセル軍集団
担当地域 東部戦線
独ソ戦
最終位置 ザクセン=アンハルト州
シュテンダール地区ドイツ語版
戦歴 Operation Rösselsprung
ハルベの戦い
シュヴェット橋頭堡防衛戦英語版
ベルリンの戦い
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第5SS山岳軍団ドイツ語: V. SS-Gebirgs-Korps)は、第二次世界大戦後期に武装親衛隊に存在した部隊である。1943年から1944年12月にかけて第2装甲軍隷下でユーゴスラビアパルチザンと戦い、1945年には第9軍隷下としてオーダー川地方やベルリンの戦いで戦った[1][2]

概要

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1943年7月1日、軍団の総司令部がベルリンに設立された。軍団部隊の編成は、プラハ近郊の訓練場「ミロヴィッツ英語版」で行われた。10月、同軍団はボスニアに移送され、第2装甲軍の指揮下でヨシップ・ブロズ・チトー率いるパルチザンの掃討作戦に投入された。この頃、軍団の司令部はモスタルにあった。

1944年3月、軍団は『第5SS義勇山岳軍団(V. SS-Freiwilligen-Gebirgs-Korps)』と改称された。9月から始まったソビエト赤軍によるベオグラード攻勢英語版のため、軍団は1944年末にボスニアから撤退しなければならなかった。その過程で、一時的にE軍集団の指揮下に入った。

1945年2月、赤軍がヴィスワ=オーデル攻勢東部戦線を突破した後、軍団はフランクフルト (オーダー)のグベン地区(Guben)に移され、ヴァイクセル軍集団第9軍の下に置かれた。4月のシーロー高地での戦いの後、軍団はハルベの戦いにおいて赤軍に包囲され壊滅した。その後、軍団は西に撤退し、タンガーミュンデドイツ語版付近でアメリカ軍に降伏した。

指揮官

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参謀長

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編成

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軍団直轄部隊

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  • 第5SS山岳軍団砲兵司令部(Artillerie-Kommandeur V. SS-Gebirgskorps)
  • 第105SS通信大隊(SS-Nachrichten-Abteilung 105)
  • 第105SS偵察大隊(SS-Aufklärungs-Abteilung 105)
  • 第105SS装甲大隊(SS-Panzer-Abteilung 105)
  • 第105SS突撃砲大隊(SS-Sturmgeschütz-Abteilung 105)
  • 第105SS砲兵大隊(SS-Artillerie-Abteilung 105)
  • 第105SS高射砲大隊(SS-Flak-Abteilung 105)
  • 第105SS発煙大隊(SS-Werfer-Abteilung 105)
  • 第105SS医療大隊(SS-Sanitäts-Abteilung 105)
  • 第105SS輸送小隊(SS-Nachschubtruppen 105)
  • 第5SS突撃大隊(SS-Sturmbataillon V) - 1945年4月より
  • SS突撃砲大隊『スカンデルベグ』(SS-Sturmgeschütz-Abteilung "Skanderbeg") - 1945年4月より

隷下部隊

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1943年12月26日時点

1944年9月16日時点

  • 第7SS義勇山岳師団
  • 第118猟兵師団
  • 第369増強歩兵連隊

1945年3月1日時点

脚注

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出典

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  1. ^ Ripley, p. 320
  2. ^ Beevor, Antony, p. 255
  3. ^ Ripley, p.320

参考文献

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  • Beevor, Antony. Berlin: The Downfall 1945, Penguin Books, 2002, ISBN 0-670-88695-5
  • Ripley, Tim. The Waffen SS at War, Zenith Imprint, 2004, ISBN 0-7603-2068-3