笹川恭三郎
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笹川 恭三郎(ささがわ きょうざぶろう、1893年(明治26年)9月26日[1] - 1990年(平成2年)9月8日[要出典])は、日本の内務官僚、拓務官僚、朝鮮総督府官僚。
経歴
[編集]新潟県西蒲原郡四ツ合村(現在の新潟市西蒲区)出身[1]。第一高等学校を経て、1917年(大正6年)に東京帝国大学工科大学土木科を卒業[1]。さらに東京帝国大学法学部政治科に学んで、1920年(大正9年)に卒業した[1]。内務省土木局勤務、静岡県安倍郡長、静岡県理事官、内閣拓殖局書記官、拓務書記官、拓務省管理局第二課長、同第一課長、同地方課長、拓務局奨励課長、大臣官房文書課長、朝鮮総督府咸鏡南道知事を歴任した[1][2]。
1940年(昭和15年)に退官した後は、北鮮合同電気株式会社社長を務めた[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。