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笹野みちる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笹野 みちる
別名 ささのみちる
生誕 (1967-10-30) 1967年10月30日(57歳)
出身地 日本の旗 日本京都府向日市
学歴 同志社大学経済学部
ジャンル ポップス
活動期間 1988年 -
共同作業者 京都町内会バンド
旧メンバー 東京少年

笹野 みちる(ささの みちる、1967年10月30日 - )は、日本のシンガーソングライター。保育士、介護福祉士、相談支援専門員としての側面もある[1]

1980年代に活動したバンド「東京少年」のメンバー。現在はソロ活動と並行しつつ「京都町内会バンド」、「ミチルンサトコ」でも活動している。母は元参議院議員笹野貞子。  

略歴

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京都府向日市出身。3歳からピアノとバイオリンを習わされたという。同志社女子中学校3年のときにバンドを組み、ボーカルとベースを担当した。ビートルズU2などを主にコピー[2]。同志社女子高等学校を経て、同志社大学経済学部に入学。

1988年東京少年のボーカルとしてデビュー。東京少年時代は一部の間で「ミッチー」の愛称で呼ばれていた。大学を1年休学。

1991年に東京少年はラストアルバム『ゆびきりげんまん』を発表し解散した。解散後、学業に専念。大学は6年かけて卒業した。

2年弱の充電期間を経て、1993年に「ささのみちる」に改名し、シングル「彼女といたい!」でソロデビューした。

1995年7月、『Coming OUT!』(幻冬舎)を出版。同書の中で自身が同性愛者であることを公表し、それに合わせて芸名を本名に戻してアルバム『GIRL MEETS GIRL』を発表、多くのマスメディアより注目を集める。

しかし、その直後より心身に不調を来たし、1997年には活動拠点を地元・京都に移す(同年9月までTBSラジオに深夜の生放送番組を持っていたが、番組後期には京都と東京とを行き来する生活を送っていたという)。

その後、体調が回復したため、1997年にアマチュア時代から交流があった原田博行の誘いを受け、京都町内会バンドを結成、音楽活動を再開する。

2003年には再び上京し、ソロアルバムも発表。音楽活動を行う一方で、東京都内のカフェでシェフも務めていた(2007年9月いっぱいでカフェのシェフを辞したことが、自身のブログで報告されている)。

2024年現在は福祉施設に勤務しながら音楽活動を続けている[1][3]

ディスコグラフィ

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それぞれ1994年以前の作品は「ささのみちる」名義。

シングル

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  1. 彼女といたい!(1993年10月21日)
  2. 僕のクーパー(1994年2月23日)
  3. 一行だけのラブレター(1994年7月21日)
  4. お金を貯めよう(1995年8月23日)
  5. 30秒だけワルあがき(1996年5月22日)
  6. スイッチ(1996年8月21日)

アルバム

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  1. ささのみちる(1993年11月21日)
  2. 君と僕の合図(1994年8月24日)
  3. GIRL MEETS GIRL(1995年9月21日)
  4. innocence(1996年8月21日)
  5. ナカナオリ(2004年3月3日)

ラジオ・テレビ番組

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レギュラー
その他
  • 大瀧詠一の日本ポップス伝Ⅱ(1999年1月、NHK-FM)

著書

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脚注

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  1. ^ a b Vol.113:2018年7月23日(月)21:00~ ゲスト:笹野みちる”. Oil in Life. 2022年3月2日閲覧。
  2. ^ 同志社大学通信 One purpose 2004年12月号” (PDF). 同志社大学. 2021年1月2日閲覧。
  3. ^ 著書「Coming OUT!」でLGBT明かした 元「東京少年」笹野みちるさんは障害者福祉施設勤務”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2024年7月29日). 2024年8月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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