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管水達達民戸達魯花赤之印

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
管水達達民戸達魯花赤之印
材質青銅
寸法長さ1辺6.3cm
文字管水達達民戸達魯花赤之印
製作1278年
発見黒龍江省ハルビン市阿城区金上京城跡

管水達達民戸達魯花赤之印(かんすいたつたつみんとたつろかせきのいん)は、中華人民共和国で出土した青銅製のである。

概要[編集]

1977年6月、黒龍江省ハルビン市阿城区金上京城跡から出土した[1]

パスパ文字で、印の部分には「管水達達民戸達魯花赤之印」と、持ち手の部分には「至元十五年十二月,中書礼部造」と刻まれている[2]。「達魯花赤(「達魯噶斉」も同意義とされる[3])」の部分は総管を指す言葉だとされている[1][4]

至元十五年との記述から、クビライ代に制作されたものだとされている[1]。制作された時期はまだ水達達路は建設されていなかったとされているが、市民が住む地域を达魯花赤(総管)が管理されていたので、このような文章ができたとされている[1][4]

青銅製[1][4]。長さ1辺6.3cm[5]

価値[編集]

この印は文章だけ見ると「この地域(路)は达魯花赤が管理しています」という特に重要性のない文章となっているが、金の首都であったハルビン市に発達した都市が作られていたことを示す、重要な印となっている[1]

また、達魯花赤が管理していることから、の役職は初期の段階で既に作られていたことも示している[1]

因みにその他でも「達魯花赤」とある印は見つかっていることから、「達魯花赤」は元に広く設置されていた役職であることが分かる[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 道客巴巴. “跋出土元代管水达达民户达鲁花赤之印”. www.doc88.com. 2024年7月1日閲覧。
  2. ^ 谭英杰 1991, p. 164.
  3. ^ a b 南开大学学报编辑室 1979, p. 92.
  4. ^ a b c 【边疆时空】周喜峰 | 元代黑龙江地区的行政建置_东北”. www.sohu.com. 2024年7月1日閲覧。
  5. ^ 北京出版社 210, p. 861.

参考文献[編集]

  • 谭英杰『黑龙江区域考古学』 日本歴史地名大系 40、中國社会科学出版社、1991年。ISBN 978-7500410294 
  • 北京出版社『中国考古集成: 東北卷』 日本歴史地名大系 40、北京出版社、2010年。 
  • 南开大学学报编辑室『南開大学学报: 哲学社会科学版, 第 29~32 巻』 日本歴史地名大系 40、南开大学学报编辑室、1979年。