箭田珠勝大兄皇子
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箭田珠勝大兄皇子 | |
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続柄 | 欽明天皇第一皇子 |
出生 |
不明 |
死去 |
欽明天皇13年4月(552年) |
父親 | 欽明天皇 |
母親 | 石姫皇女 |
箭田珠勝大兄皇子(やた の たまかつ の おおえ の みこ、生年不詳 - 欽明天皇13年4月(552年))は、飛鳥時代の皇族。『古事記』では八田王。欽明天皇の第一皇子で、母は宣化天皇の皇女・石姫皇女。敏達天皇の同母兄。
生涯
[編集]「大兄」の称号を有するところから、欽明天皇の皇嗣であったと思われる。しかし、政治的事績は何も伝わっておらず、『日本書紀』巻十九、欽明天皇13年4月(552年)に
箭田珠勝皇子薨(みう)せぬ[1]
とあるだけで、死因などは不明である。欽明天皇は任那復興のために朝鮮半島に軍を派遣しており、その甲斐もなく、欽明天皇23年(562年)には任那の日本府が新羅によって滅亡させられている[2]。そのことと何か関係があるのだろうとも想像される。
皇子の薨去した年に百済の聖明王が釈迦仏の金銅像一体と、幡蓋若干、経論若干巻を献上したと『書紀』にはあり、蘇我稲目が向原の家を浄めはらって寺として仏像を崇めたところ、(『元興寺縁起』によると1年後に)「疫病」が大流行し、夭折するものが数多く出て、治療することが叶わなかったために、物部尾輿と中臣鎌子が天皇の承諾を得て、向原寺に放火して伽藍を灰燼と化し、仏像を難波の堀江に流して廃棄している[3]。
皇子が八田皇女の矢田部を継承していたとする説もある。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本書紀』(三)、岩波文庫、1994年
- 『日本書紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
- 『古事記』完訳日本の古典1、小学館、1983年
- 『別冊歴史読本 古代謎の王朝と天皇』、新人物往来社、1987年より「古代史人物事典」鈴木靖民編