箸本太吉
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箸本 太吉(はしもと たきち、1892年(明治25年)7月16日[1] – 1961年(昭和36年)7月25日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、外務参与官。ジャーナリスト。
経歴
[編集]石川県金沢市出身[3]。日本大学で学んだ後、『中外商業新報』政治部記者となり、ロンドン特派員を務めた。その後『萬朝報』に入社し、常務取締役営業局長・編集局長、専務取締役・主筆を歴任した。また平沼騏一郎日本大学総長の秘書や日本大学講師を務めた[3]。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に石川1区から出馬し、初当選[4]。合計で5期務めた。その間、平沼内閣で外務参与官に就任した。
1946年(昭和21年)、大政翼賛会の推薦議員のため、公職追放となった[5]。
その他に少年保護司としても活動し、少年保護協会監事[6]、財団法人輔成会嘱託、少年保護協会幹事[3]、日本加工紙工業会会長、内外紙業(株)監査役、大倉電気(株)取締役、ヘンミ計算尺(株)相談役を務めた[6]。