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篠原女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

篠原女(しのはらじょ、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師

来歴

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鳥文斎栄之[1]の門人。姓名不詳。寛政7年(1795年)刊行の狂歌本『狂歌歳旦江戸紫』に栄之、栄綾[2]栄山[2]栄興[2]らとともに挿絵を描いている。

篠原女は白銀黒人の詠んだ狂歌に添えて梅の絵を描いている。その際、「栄之門人 ゆふ女しのはら画」と落款しているため、当時評判となった遊女の一人で、喜多川歌麿錦絵などに描かれている鶴屋篠原[注釈 1]と同一人と思われる。『吉原細見』によると、彼女は寛政8年(1796年)に退籍しているとされる[7]

脚注

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注釈

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  1. ^ 鶴屋篠原の木版似顔には、鳥高斎栄昌[2]による「鶴屋篠原 廊中美人競(文読み)」(復刻版)が郵政博物館[3]に、喜多川歌麿による大判錦絵「青楼七小町 鶴屋内 篠原」〈せいろう ななこまち つるやうち しのはら〉(1794-95年頃 (寛政6-7))[4]山種美術館にそれぞれ伝わる。大英博物館は歌麿版「青楼七小町 鶴屋内篠原」を所蔵、禿の名を志のぶ、うたのと添えたことがわかり[5]、もう1点の所蔵品はやはり同じ禿たちの名前の添え、「当時全盛美人揃 鶴屋内篠原 しのぶ うたの」[6]という。

出典

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  1. ^ 浮世絵師人名辞書, pp. 0052.jp2-0054.jp2 (コマ番号).
  2. ^ a b c d 浮世絵師人名辞書, p. 0055.jp2 (コマ番号).
  3. ^ 鶴屋篠原 廊中美人競(文読み)(復刻版)”. 文化遺産オンライン. 2020年3月19日閲覧。
  4. ^ 青楼七小町 鶴屋内 篠原”. 文化遺産オンライン. 2020年3月19日閲覧。
  5. ^ Tsuruya uchi Shinohara, Shinobu, Utano 鶴屋内篠原 志のぶ うたの (Shinohara of the Tsuruya, [kamuro: Shinobu, Utano) / Seiro nana Komachi 青楼七小町 (Seven Komachis of Yoshiwara)]” (英語). British Museum. 2020年3月19日閲覧。
  6. ^ Kitagawa Utamaro (喜多川歌麿) (1794年). “Tsuruya uchi Shinohara, Shinobu, Utano 鶴屋内篠原 しのぶ うたの (Shinohara of the Tsuruya, [kamuro: Shinobu, Utano) / Toji zensei bijin-zoroi 当時全盛美人揃 (A Set of Great Beauties of the Present Day)]” (英語). British Museum. Wakasaya Yoichi (若狭屋与市). 2020年3月19日閲覧。
  7. ^ 高橋幹夫「寛政の江戸の遊女」『江戸いろざと図譜 新装版』、青蛙房、2016年、32-35頁。

参考文献

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出版年の昇順。

  • 桑原羊次郎『浮世絵師人名辞書』教文館、1923年。doi:10.11501/1182551全国書誌番号:43041603 。コマ番号 (0052.jp2-54.jp2)、インターネット公開(保護期間満了)。
  • 高橋誠一郎「§錦繪中期 §§(二) 旗本出の鳥文齋榮之」『新修浮世絵二百五十年』、中央公論美術出版、1961年、115頁-121頁。(0206.jp2-0215.jp2)。全国書誌番号:61005857doi:10.11501/2493929、国立国会図書館内限定、図書館送信対象。
  • 安田剛蔵 『画狂北斎』 有光書房、1971年。全国書誌番号:75043955

遊女であったと伝える文献

  • 『江戸の浮世絵師』、平凡社〈日本の美術〉第22巻、1966年。全国書誌番号:54002493doi:10.11501/2466770、国立国会図書館内限定公開。
    • 亀井勝一郎「黄金時代を築いた人びと」、83-94頁。
    • 高橋誠一郎「解説」、143-166頁。