篠原女
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篠原女(しのはらじょ、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
来歴
[編集]鳥文斎栄之[1]の門人。姓名不詳。寛政7年(1795年)刊行の狂歌本『狂歌歳旦江戸紫』に栄之、栄綾[2]、栄山[2]、栄興[2]らとともに挿絵を描いている。
篠原女は白銀黒人の詠んだ狂歌に添えて梅の絵を描いている。その際、「栄之門人 ゆふ女しのはら画」と落款しているため、当時評判となった遊女の一人で、喜多川歌麿の錦絵などに描かれている鶴屋篠原[注釈 1]と同一人と思われる。『吉原細見』によると、彼女は寛政8年(1796年)に退籍しているとされる[7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 浮世絵師人名辞書, pp. 0052.jp2-0054.jp2 (コマ番号).
- ^ a b c d 浮世絵師人名辞書, p. 0055.jp2 (コマ番号).
- ^ “鶴屋篠原 廊中美人競(文読み)(復刻版)”. 文化遺産オンライン. 2020年3月19日閲覧。
- ^ “青楼七小町 鶴屋内 篠原”. 文化遺産オンライン. 2020年3月19日閲覧。
- ^ “Tsuruya uchi Shinohara, Shinobu, Utano 鶴屋内篠原 志のぶ うたの (Shinohara of the Tsuruya, [kamuro: Shinobu, Utano) / Seiro nana Komachi 青楼七小町 (Seven Komachis of Yoshiwara)]” (英語). British Museum. 2020年3月19日閲覧。
- ^ Kitagawa Utamaro (喜多川歌麿) (1794年). “Tsuruya uchi Shinohara, Shinobu, Utano 鶴屋内篠原 しのぶ うたの (Shinohara of the Tsuruya, [kamuro: Shinobu, Utano) / Toji zensei bijin-zoroi 当時全盛美人揃 (A Set of Great Beauties of the Present Day)]” (英語). British Museum. Wakasaya Yoichi (若狭屋与市). 2020年3月19日閲覧。
- ^ 高橋幹夫「寛政の江戸の遊女」『江戸いろざと図譜 新装版』、青蛙房、2016年、32-35頁。
参考文献
[編集]出版年の昇順。
- 桑原羊次郎『浮世絵師人名辞書』教文館、1923年。doi:10.11501/1182551。全国書誌番号:43041603。。コマ番号 (0052.jp2-54.jp2)、インターネット公開(保護期間満了)。
- 高橋誠一郎「§錦繪中期 §§(二) 旗本出の鳥文齋榮之」『新修浮世絵二百五十年』、中央公論美術出版、1961年、115頁-121頁。(0206.jp2-0215.jp2)。全国書誌番号:61005857、doi:10.11501/2493929、国立国会図書館内限定、図書館送信対象。
- 安田剛蔵 『画狂北斎』 有光書房、1971年。全国書誌番号:75043955。
遊女であったと伝える文献
- 『江戸の浮世絵師』、平凡社〈日本の美術〉第22巻、1966年。全国書誌番号:54002493、doi:10.11501/2466770、国立国会図書館内限定公開。
- 亀井勝一郎「黄金時代を築いた人びと」、83-94頁。
- 高橋誠一郎「解説」、143-166頁。