篠原得寿
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篠原 得寿(しのはら ありひさ、宝暦7年(1757年) - 天保9年(1838年)8月)は、江戸時代後期の加賀藩士。人持組・篠原本家第7代当主。通称は弥助。石高は4000石。家紋は左三つ巴。菩提寺は曹洞宗桃雲寺で、戒名は聯命院殿天然得寿居士。
父は第6代当主で加賀藩家老・世子御用主附の篠原保之。母は加賀八家・前田孝貞の次男、前田孝和[1]の娘。寛政9年(1797年)7月、定火消役となる。病弱ではあったが、長生きした。天保9年(1838年)8月に死去。桃雲寺で葬儀が執り行われ、野田山墓地に葬られた。