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篠原誠一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
篠原 誠一郎
生誕 1884年5月11日
日本の旗 日本 群馬県
死没 (1972-07-08) 1972年7月8日(88歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1905年 - 1942年
最終階級 陸軍中将
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篠原 誠一郎(しのはら せいいちろう、1884年明治17年)5月11日[1] - 1972年昭和47年)7月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功二級[1]

経歴

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1884年(明治17年)に群馬県で生まれた[1]陸軍士官学校第17期卒業[1]1931年(昭和6年)に陸軍歩兵大佐に進級[2]第16師団司令部附となり、大谷大学に配属された[2]1933年(昭和8年)に歩兵第40連隊長に就任し[2]満州事変に出動。討伐戦に当たった[1]

1936年(昭和11年)に陸軍少将に進級し[2]、歩兵第15旅団長に転じる[1]1938年(昭和13年)に第1国境守備隊長を経て[1]1939年(昭和14年)3月に陸軍中将に進級し[2]関東軍司令部附となる[1]。同年5月に第116師団長に親補され[1]日中戦争に出動[3]安慶に駐屯し、治安維持に当たるとともに、揚子江岸冬期作戦、春期皖南作戦、秋期皖南作戦、皖浙作戦、大別山作戦などで指揮を執り、戦果を収めた[3]1941年(昭和16年)に参謀本部附となり[1]1942年(昭和17年)4月2日予備役に編入された[1]

1944年(昭和19年)7月1日に陸軍司政長官に発令され[4]第29軍軍政監部附となった[5]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

栄典

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位階

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 福川 2001, 368頁.
  2. ^ a b c d e 外山 1981, 220頁.
  3. ^ a b 福川 2001, 369頁.
  4. ^ 『官報』第5239号「叙任及辞令」1944年7月3日。
  5. ^ 第127号 昭和19年7月2日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120913200 
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」138頁。
  7. ^ 陸軍中将篠原誠一郎叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11115029300 

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026