篠原誠一郎
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篠原 誠一郎 | |
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生誕 |
1884年5月11日 日本 群馬県 |
死没 | 1972年7月8日(88歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1905年 - 1942年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
篠原 誠一郎(しのはら せいいちろう、1884年(明治17年)5月11日[1] - 1972年(昭和47年)7月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功二級[1]
経歴
[編集]1884年(明治17年)に群馬県で生まれた[1]。陸軍士官学校第17期卒業[1]。1931年(昭和6年)に陸軍歩兵大佐に進級[2]。第16師団司令部附となり、大谷大学に配属された[2]。1933年(昭和8年)に歩兵第40連隊長に就任し[2]、満州事変に出動。討伐戦に当たった[1]。
1936年(昭和11年)に陸軍少将に進級し[2]、歩兵第15旅団長に転じる[1]。1938年(昭和13年)に第1国境守備隊長を経て[1]、1939年(昭和14年)3月に陸軍中将に進級し[2]、関東軍司令部附となる[1]。同年5月に第116師団長に親補され[1]、日中戦争に出動[3]。安慶に駐屯し、治安維持に当たるとともに、揚子江岸冬期作戦、春期皖南作戦、秋期皖南作戦、皖浙作戦、大別山作戦などで指揮を執り、戦果を収めた[3]。1941年(昭和16年)に参謀本部附となり[1]、1942年(昭和17年)4月2日に予備役に編入された[1]。
1944年(昭和19年)7月1日に陸軍司政長官に発令され[4]、第29軍軍政監部附となった[5]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
栄典
[編集]- 位階
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。