篠崎浅間神社
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篠崎浅間神社 | |
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鳥居と参道 | |
所在地 | 東京都江戸川区上篠崎1-22-31[1] |
位置 | 北緯35度42分53.5秒 東経139度54分6.9秒 / 北緯35.714861度 東経139.901917度座標: 北緯35度42分53.5秒 東経139度54分6.9秒 / 北緯35.714861度 東経139.901917度 |
主祭神 | 木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤビメ)[2] |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 940年(天慶3年) |
例祭 | 7月1日[1] |
地図 |
篠崎浅間神社(しのざきせんげんじんじゃ)は、東京都江戸川区上篠崎にある神社である。浅間神社の1つ。
歴史
[編集]当社は天慶元年(938)5月15日に創建された江戸川区内でもっとも古い神社である[2]。承平2年(932)に下総国弥山からこの地に移住してきた弥山左那比神人(ややまさなひしんと)が初代宮司として仕えた[2]。 天慶3年(940)、平将門が関東において威をとなえると、平貞盛が乱を鎮めるために派遣された。貞盛は将門が降伏するように祈願し、当社に霧島神社を祀り、金幣(きんぺい)と弓矢を献じて武運を祈った。当社には、村上天皇(946〜967)の御守剣、後花園天皇(1428〜1464)の連歌などの宝物が納められており、平安・鎌倉期より当社の崇敬がことのほか篤かったことがうかがえる。 江戸時代に入ると、江戸や近郷からの参詣者が増え講社も組織されたという。明治時代に入り、江戸川区の神社で唯一郷社になった[2]。以降、明治から昭和にかけても熾仁親王の神額、三條内大臣藤原朝臣の神額、犬養毅元総理の額などが奉納されるなど、多くの篤い崇敬が寄せられた。また現在では隣接して、浅間幼稚園がある。
境内社
[編集]- 下浅間神社
- 下浅間御嶽宮
- 香取神社
- 天満宮
- 八幡神社
- 白髭神社
- 天祖神社・須賀神社
- 霧島神社
- 稲荷神社
- 柳島稲荷神社
- 水神宮
- 道祖神
- 弁天社
出典:公式サイト[3]
幟祭
[編集]当社は幟(のぼり)祭りが有名であり、昭和56年には、江戸川区指定無形民俗文化財に指定されている[4]。重さ1t以上の幟10本(これは幟の大きさ、祭りの規模ともに日本最大級である[5]。)を掲げる祭りである。
文化財
[編集]- 浅間神社のぼり祭り - 江戸川区指定無形民俗文化財・風俗慣習、昭和56年1月13日告示[4]
- 浅間神社の社叢 - 江戸川区指定天然記念物・植物、昭和57年2月8日告示[6]
- 浅間神社の富士講碑 - 江戸川区登録有形文化財・歴史資料、昭和56年1月13日告示[7]
参考文献
[編集]- 「民俗・文化・自然編 第二章 神社と寺院 第一節 神社 三 各神社の由緒沿革 一三 浅間神社」『江戸川区史』 第三巻、江戸川区、1976年3月、473頁 。
- “浅間神社のぼり祭り”. 江戸川区文化財・史跡 (2019年1月31日). 2020年5月31日閲覧。
- “浅間神社の社叢”. 江戸川区文化財・史跡 (2019年1月31日). 2020年5月31日閲覧。
- “浅間神社の富士講碑”. 江戸川区文化財・史跡 (2019年1月31日). 2020年5月31日閲覧。
- “江戸川区 浅間神社”. 東京都神社庁. 2020年5月31日閲覧。
脚注
[編集]- ^ a b 東京都神社庁.
- ^ a b c d 江戸川区史.
- ^ “境内・末社のご案内”. 篠崎浅間神社. 2020年5月31日閲覧。
- ^ a b 江戸川区 浅間神社のぼり祭り.
- ^ 江戸川区経営企画部広報課 (2010年8月13日). “勇壮!重さ1トンの日本最大級の幟を人力で立ち上げ”. 江戸川区役所. 2016年6月27日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 江戸川区 浅間神社の社叢.
- ^ 江戸川区 浅間神社の富士講碑.
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 篠崎浅間神社 - 公式サイト