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米田雄介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

米田 雄介(よねだ ゆうすけ、1936年昭和11年〉10月28日[1] - 2024年令和6年〉8月20日)は、日本歴史学者公益財団法人古代学協会理事、広島県立女子大学神戸女子大学名誉教授。宮内庁正倉院事務所長などを歴任した。学位は文学博士大阪大学論文博士・1975年)。位階勲等は従四位瑞宝小綬章

略歴

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1936年昭和11年)10月28日兵庫県神戸市に生れる[1][2]。1964年(昭和39年)に大阪大学大学院博士課程単位取得退学。同年、大阪大学文学部助手。

1966年(昭和41年)、宮内庁書陵部に出向。1975年(昭和50年)「日本古代地方行政機構の研究 郡司制を中心として」で大阪大学より文学博士の学位を取得。宮内庁書陵部編修課長として勤務の後、1992年(平成4年)から宮内庁正倉院事務所長。退職後、県立広島女子大学教授、2002年(平成14年)定年退官[3]神戸女子大学教授。2006年(平成18年)秋の叙勲で、瑞宝小綬章を受章した[4][5]

2024年令和6年)8月20日慢性心不全で死去した。87歳没[2]。死没日付をもって従四位に叙された[6]

業績

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専門は日本古代史。平安時代とくに摂関制について研究。また、正倉院に勤務して以後は、それに関する著作も多い。

著書

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  • 『郡司の研究』法政大学出版局、1976年
  • 『古代国家と地方豪族』教育社歴史新書、1979年
  • 『歴代天皇の記録』続群書類従完成会、1992年
  • 『正倉院宝物の歴史と保存』吉川弘文館、1998年
  • 『正倉院宝物と日本文化』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、1998年
  • 『正倉院宝物の故郷』大蔵省印刷局、1999年
  • 『正倉院宝物と平安時代』淡交社、2000年
  • 『藤原摂関家の誕生』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、2002年
  • 『すぐわかる正倉院の美術』東京美術、2002年、改訂版2019年
  • 『摂関制の成立と展開』吉川弘文館、2006年
  • 『奇蹟の正倉院宝物 シルクロードの終着駅』角川選書、2010年
  • 『正倉院宝物と東大寺献物帳』吉川弘文館、2018年
  • 『歴代天皇の皇位継承事情』柳原出版、2022年

編著・共著

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木村法光長澤和俊松尾良樹児島建次郎西川明彦谷一尚共著
  • 『正倉院学ノート』(樫山和民と共編)朝日選書、1999年
  • 『皇室の名宝』朝日新聞社、1999年
  • 『正倉院の謎を解く』(木村法光と共著) 毎日新聞社、2001年
  • 『歴代天皇・年号辞典』吉川弘文館、2003年、新訂版2019年
  • 『皇室事典』(編集委員、所功高橋紘等と共編)
角川学芸出版、2009年、新訂版2019年/角川ソフィア文庫 全2巻、2019年

論文

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脚注

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  1. ^ a b “⽶⽥ 雄介 (よねだ・ゆうすけ) 故⼈”. 朝日新聞クロスサーチ 人物データベース. 2024年11月18日閲覧。
  2. ^ a b 正倉院研究の第一人者・米田雄介氏が慢性心不全で死去、87歳…元宮内庁正倉院事務所長”. 読売新聞オンライン (2024年8月22日). 2024年8月22日閲覧。
  3. ^ 米田雄介教授略歴及び研究業績一覧 (大谷森繁教授・米田雄介教授退任記念号)『広島女子大学国際文化学部紀要』(10)2002
  4. ^ 『官報』号外252号 平成18年11月6日
  5. ^ 「秋の叙勲 県内から61人輝く」『読売新聞』2006年11月3日、奈良県版、朝刊、32面。
  6. ^ 『官報』第1312号9頁 令和6年9月25日