籾山幸徳
エースファクトリーベースボールクラブ #27 | |
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巨人時代(2010年) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府八尾市 |
生年月日 | 1985年4月10日(39歳) |
身長 体重 |
179 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
プロ入り | 2007年 育成選手ドラフト1巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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籾山 幸徳(もみやま ゆきのり、1985年4月10日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学3年の時に少年硬式野球(ボーイズリーグ)の八尾フレンドで野球を始める。
立命館大学では1年春からベンチ入り。2年秋で遊撃手のレギュラーを獲得すると、3年で二塁手、4年で三塁手も経験。中軸を任され、4年秋には打率3割をキープし、ベストナインに選ばれた。リーグ通算69試合に出場、226打数59安打、打率.261、5本塁打、36打点。
2007年のプロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから育成1位で指名され入団。
プロ入り後
[編集]2008年は、春季キャンプ中に左鎖骨下静脈血栓症で入院したが、イースタン・リーグ開幕戦には間に合い、遊撃の守備固めとして途中出場した。3月29日には2軍初打席で初安打を放った。主に代打、守備固めとして2軍で打率.226、3本塁打、12打点を記録。一塁・三塁を中心に内野の全ポジションを守り、さらに左翼も19試合守った。
2010年は、主にフューチャーズやシリウスで試合に出場した。10月29日、自由契約選手公示がなされたが、11月10日に育成選手として再契約した。12月、立命館大学の同期だった東京在住の会社員の一般女性と入籍。
2011年11月1日に戦力外通告を受けた。
1年目は右肩の血行障害、2年目以降は毎年骨折と怪我が重なり、支配下登録は果たせなかった[1]。
現役引退後
[編集]退団後はジャイアンツアカデミーコーチに就任し、1年半、子供への野球指導にあたる。フランチャイズ展開をするためにマネジャー転向を打診されたが、2014年7月にプルデンシャル生命保険にヘッドハンティングされ、入社。ライフプランナーに転身した[2]。2021年現在は生命保険などを取り扱う「NoriSuke」の社長を務めている[1]。
また中学硬式野球「高槻中央ボーイズ」の監督を務めており[3]、2020年6月27日には古巣の巨人とOBスカウトとしての契約を締結。大阪エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担っている[4]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 102 (2008年 - 2010年)
- 001 (2011年)
脚注
[編集]- ^ a b 支配下目前に消えた夢 別の道に進んでも「野球」と「人」が支えに - チェンジ - スポーツコラム 日刊スポーツ 2021年7月13日
- ^ “ライフプランナーとして第二の人生を歩む元巨人・籾山幸徳 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2015年7月31日). 2021年12月19日閲覧。
- ^ “スタッフ紹介”. 高槻中央ボーイズ. 2020年9月19日閲覧。
- ^ “読売巨人軍OBスカウトとの契約締結について”. 読売ジャイアンツ (2020年6月27日). 2020年9月19日閲覧。