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粛川郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平安南道 粛川郡
位置
各種表記
チョソングル: 숙천군
漢字: 肅川郡
日本語読み仮名: しゅくせんぐん
片仮名転写: スクチョン=グン
ローマ字転写 (MR): Sukch'ŏn-gun
統計(2008年
面積: 418.96 km2
総人口: 178,509 人
人口密度: 426.08 人/km2
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
上位自治体: 平安南道
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粛川郡(スクチョンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する郡。

地理

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平安南道西部に位置し、西は黄海に面する。

北に文徳郡安州市、東に順川市平城市、南に平原郡と境を接する。

行政区域

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1邑・1労働者区・20里を管轄する。

  • 粛川邑(スクチョヌプ)
  • 南陽労働者区(ナミャンノドンジャグ)
  • 検山里(コムサンニ)
  • 検興里(コムンニ)
  • 広川里(クァンチョンニ)
  • 金豊里(クムプンニ)
  • 大成里(テソンニ)
  • 龍徳里(リョンドンニ)
  • 白巌里(ペガムニ)
  • 蛇山里(ササンニ)
  • 松徳里(ソンドンニ)
  • 新豊里(シンプンニ)
  • 双雲里(サンウンニ)
  • 薬田里(ヤクチョンニ)
  • 雲井里(ウンジョンニ)
  • 長興里(チャンフンニ)
  • 倉東里(チャンドンニ)
  • 七里(チルリ)
  • 平山里(ピョンサンニ)
  • 平和里(ピョンファリ)
  • ヘビッ里(ヘビンニ)
  • 興五里(フンオリ)

歴史

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朝鮮王朝時代に平安道粛川都護府が置かれ、1895年に粛川郡となったが、1914年平原郡に併合された。

朝鮮戦争中の1950年10月には、国連軍による大規模な空挺作戦がおこなわれた(粛川・順川の戦い)。1952年、北朝鮮の行政区画改編により平原郡から粛川面・朝雲面・海蘇面・西海面・検山面・東松面が分離され、粛川郡(1邑20里)が編成された。

年表

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この節の出典[1]

  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道平原郡粛川面・朝雲面・西海面・検山面・東松面・海蘇面および龍湖面の一部地域をもって、粛川郡を設置。粛川郡に以下の邑・里が成立。(1邑21里)
    • 粛川邑・興五里・長興里・龍徳里・検興里・大成里・検山里・平和里・双雲里・白巌里・薬田里・基隠里・新豊里・蘇恩里・蓮花里・広川里・倉東里・七里・蛇山里・松徳里・雲井里・平山里
  • 1953年 (1邑21里)
    • 検興里の一部が検山里に編入。
    • 七里の一部が蛇山里に編入。
  • 1963年 - 蓮花里が南陽労働者区に昇格。(1邑1労働者区20里)
  • 1967年 - 白巌里の一部が龍徳里に編入。(1邑1労働者区20里)
  • 1972年 - 白巌里の一部が平和里に編入。(1邑1労働者区20里)
  • 1977年 - 蘇恩里がヘビッ里に改称。(1邑1労働者区20里)
  • 1982年 - 基隠里が金豊里に改称。(1邑1労働者区20里)

交通

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脚注

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外部リンク

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