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粟巣野駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
粟巣野駅
開業当時の粟巣野駅
あわすの
AWASUNO
本宮 (3.5 km)
(1.3 km) 立山
所在地 富山県上新川郡大山町村原
北緯36度34分54.8秒 東経137度25分53.3秒 / 北緯36.581889度 東経137.431472度 / 36.581889; 137.431472 (粟巣野駅)
所属事業者 富山地方鉄道
所属路線 富山地方鉄道立山線
キロ程 22.9 km(寺田起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1937年昭和12年)10月1日
廃止年月日 1981年昭和56年)5月22日
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粟巣野駅(あわすのえき)は、かつて富山県上新川郡大山町(現・富山市)にあった富山地方鉄道立山線廃駅である。

かつては大阪駅から急行立山が乗り入れるなど、粟巣野スキー場への最寄駅として利用されていた[1][2][3]

沿革

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当駅は、当初富山県営鉄道の同線の終着駅として開業し、立山開発の基点として貨客集散の地となっていたが[1]、その後、1955年(昭和30年)7月1日に至って千寿ヶ原駅(現在の立山駅)が開業し、ターミナル駅の役目を同駅に譲ることとなった[4]。以後は周囲に人家が無いこともあり利用者数が皆無近くまで激減し、普通列車の大半が当駅を通過するようになった[5]。これ以降も粟巣野スキー場の最寄駅として利用されていたが[1]、立山駅から同スキー場への道路整備及び真川大橋1975年(昭和50年)11月竣工によりその役目も終わり[1]、1981年(昭和56年)5月22日に、廃止された[6]

  • 1936年昭和11年)5月6日 - 富山県営鉄道が千垣 - 粟巣野間の鉄道敷設免許を受ける[6][7]
  • 1937年(昭和12年)10月1日 - 富山県営鉄道が千垣駅 - 粟巣野駅間の運輸営業開始認可を得て、当駅を終着駅とし同区間を開業する[8][6]。開業当時の乗車賃は当駅 - 南富山駅間で63銭、当駅 - 千垣駅間で14銭であった[9]
  • 1942年(昭和17年)5月28日 - 富山県営鉄道、当駅 - 千垣間の日本発送電に対する譲渡の許可を受け、これを譲渡し、当駅は日本発送電所属となる[6][7]
  • 1943年(昭和18年)1月1日 - 日本発送電所属鉄道を富山地方鉄道に譲渡し、当駅は富山地方鉄道立山線所属となる[6]
  • 1946年(昭和21年)6月1日 - 当駅 - 電鉄富山駅間において上滝駅経由により直通運転を開始する[6]
  • 1954年(昭和29年)
    • 4月1日 - 当駅 - 小見駅(現:有峰口駅)間を富山地方鉄道より立山開発鉄道に譲渡し、当駅は立山開発鉄道線所属となる[6]
    • 8月1日 - 当駅 - 立山仮駅間(0.8粁)が開業する[6]
  • 1955年(昭和30年)7月1日 - 立山仮駅 - 千寿ヶ原駅(現:立山駅)間が開業し、同時に立山仮駅を廃する[6][10]
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 立山開発鉄道、小見駅 - 千寿ヶ原駅間を富山地方鉄道に譲渡し、当駅は富山地方鉄道立山線所属となる[6]
  • 1981年(昭和56年)5月22日 - 廃止[6]

駅構造

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2面のホームを有する地上駅であった[1]。当駅跡地には既に使用されていないホーム跡、架線柱が残存している[1][4]

チェアリフト(高架索道)

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粟巣野駅の上部には粟巣野スキー場があり、かつて粟巣野駅とスキー場をつなぐ上山用のチェアリフト(高架索道)が架かっていた[11]

スキー場オープンと同じく1960年(昭和35年)12月20日に架けられた1人乗りのチェアリフトで[11]、当時は現在のように立山駅から、らいちょうバレースキー場を経由するアクセス道路がなく、一つ手前の本宮駅より長い坂道を上り、極楽坂スキー場を経て粟巣野スキー場へと至る道路しかなかった。そのため電車を利用の場合、粟巣野スキー場へもっとも早くアクセスできる唯一の交通機関であった。その後1977年(昭和52年)に、立山駅から県営ゴンドラスキー場(現:らいちょうバレースキー場)へのアクセス道路工事が始まり廃止の上撤去された[12][13][14]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 西本篤編、『いこま27号 富山地方鉄道』、1994年(平成6年)3月、大阪産業大学文化会鉄道研究部
  2. ^ 「25日からスキー列車 大阪 - 粟巣野 1月9日まで毎日運転」、『北日本新聞』13面、1971年(昭和46年)12月23日、北日本新聞。なおこの際、国鉄より乗り入れた急行立山の富山地方鉄道線内における停車駅は、越中荏原駅、寺田駅、五百石駅、岩峅寺駅、有峰口駅、本宮駅及び当駅であった(『北日本新聞』13面、1971年(昭和46年)12月23日、北日本新聞)
  3. ^ 「国鉄、立山線に乗り入れ 1月15日から」、『北日本新聞』13面、1970年(昭和45年)12月10日、北日本新聞社
  4. ^ a b 川島令三編、『中部ライン 全線・全駅・全配線第7巻 富山・糸魚川・黒部エリア』、2010年(平成22年)10月、講談社
  5. ^ 『JR・私鉄全線各駅停車7 北陸・山陰820駅』(189頁)、1993年7月20日、小学館。
  6. ^ a b c d e f g h i j k 富山地方鉄道株式会社編、『富山地方鉄道五十年史』、1983年(昭和58年)3月、富山地方鉄道
  7. ^ a b 『官報』、1942年(昭和17年)7月14日、内閣印刷局(317頁)
  8. ^ 富山県電気局編、『県営電気事業概要』、1939年(昭和14年)6月、富山県電気局
  9. ^ 「千垣以南の開通」、『富山日報』1937年(昭和12年)10月1日、富山日報社
  10. ^ 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』、2008年(平成20年)10月、新潮社
  11. ^ a b 『富山地方鉄道五十年史』富山地方鉄道株式会社 1983年3月28日発行 894.P
  12. ^ 『悠閑春秋』北日本新聞 2006年1月12日夕刊1面
  13. ^ 『白銀到来へ準備オーライ リフト料金もすえおき ゲレンデ整備に力』北日本新聞 1977年12月15日朝刊11面
  14. ^ 『富山地方鉄道五十年史』富山地方鉄道株式会社 1983年3月28日発行 912.P

参考文献

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  • 『官報』、1937年(昭和12年)10月13日、内閣印刷局(372頁、所在地はこれによる)
  • 日本国有鉄道営業局総務課編、『昭和41年3月1日現在 停車場一覧』、1966年(昭和41年)3月、日本国有鉄道(粁程等は同書による)
  • 草卓人編、『鉄道の記憶』、2006年(平成18年)2月、桂書房

関連項目

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