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粟飯原秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
粟飯原 秀
生誕 1889年12月1日
日本の旗 日本 徳島県
死没 (1965-08-18) 1965年8月18日(75歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1939年
最終階級 陸軍少将
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粟飯原 秀(あいはら ひいづ、1889年明治22年)12月1日 - 1965年昭和40年)8月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴・人物

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徳島県出身[1]1911年(明治44年)陸軍士官学校第23期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1]。のち1916年大正5年)陸軍大学校に入校し1919年(大正8年)同校第31期卒業[1]

印度駐箚武官を経て、1934年(昭和9年)陸軍歩兵大佐となり、翌年の1935年(昭和10年)には参謀本部附、歩兵第21連隊長となった[2][3][4][5]。連隊長(第5師団、歩兵第21旅団)として支那事変に出征し、平型関の戦いにて苦戦した[1]

その後、1938年(昭和13年)陸軍少将・基隆要塞司令官を経て、翌年の1939年(昭和14年)予備役[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』12頁。
  2. ^ 『官報』第1948号、昭和8年6月30日。
  3. ^ 『官報』第2276号、昭和9年8月2日。
  4. ^ 『官報』第2676号、昭和10年12月3日。
  5. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』299頁。
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」1頁。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。