糸魚川陣屋
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糸魚川陣屋 (新潟県) | |
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城郭構造 | 平城 |
築城主 | 本多助芳 |
主な改修者 | 松平直之、松平直静 |
主な城主 | 本多氏、越前松平氏 |
遺構 | 土塁 |
位置 | 新潟県糸魚川市横町2丁目 |
糸魚川陣屋(いといがわじんや)とは、越後国頚城郡糸魚川(現在の新潟県糸魚川市横町)[1] に存在した陣屋である。糸魚川藩の藩庁が置かれた。
概要
[編集]元禄12年(1699年)、本多助芳が出羽村山藩より1万石で入り陣屋を置いた。だが、享保2年(1717年)に助芳は信濃飯山藩へ移封。同年、松平直之は徳川吉宗より1万2200石の所領を与えられて糸魚川藩(越前松平家)の初代藩主となり、横町に陣屋を改装して使用した。
構造
[編集]藩主・松平家は江戸定府だったため、糸魚川には郡代・奉行・代官などが詰めて統治した。幕末の文久3年(1863年)には陣屋が増築され、その規模は間口で58間、奥行きは15間、表門に門番詰所、地方御役所、郡代屋敷、表門に門番詰所、地方御役所、郡代屋敷、役人長屋などが置かれた。
陣屋の跡地には新潟県立糸魚川商工高等学校があったが、1998年に総合学科への改組により学校は清崎9丁目に移転し、市民会館(横町会館)[2]等が建設された。現在は市民会館の東側一帯に、陣屋土塁が残る。井戸跡もあったが、現在は埋められ舗装道路になっている。