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紀元前12世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紀元前1195年から転送)
千年紀: 紀元前2千年紀
世紀: 前13世紀 - 紀元前12世紀 - 前11世紀
デルタの戦い。画像はこの戦いで「海の民」と戦うエジプト第20王朝のファラオ・ラムセス3世メディネト・ハブ英語版ラムセス3世葬祭殿英語版の浮き彫り)。
ペリシテ人。「海の民」を構成していたと伝わる民族で、この時期までには地中海東岸に大きな勢力を伸長していた。ミケーネⅢC式土器と同質の土器がペリシテ人の遺跡から出土するのが興味深い。画像はイスラエルアシュドドペリシテ人文化博物館が所蔵するペリシテ人の土器一式。
ウガリット遺跡。楔形文字を表音文字化したウガリット文字粘土板が大量に出土したことでも知られる。画像は前1200年のカタストロフで廃墟となった宮殿の入り口。
トロイア遺跡。シュリーマンらによりホメロスの叙事詩に語られていた都市イリオンと推定されたのがダーダネルス海峡に近接したヒサルリク英語版の遺構であった。この遺構の第7層が紀元前12世紀に相当し、この時期何らかの大きな動きがあったものと考えられる。
オルメカ巨石人頭像(カベサ・オルメカ)。メソアメリカ最古のオルメカ文化ではサン・ロレンソ一帯の繁栄が見られた。ラ・ベンタに繁栄の中心が移る紀元前900年代までをサン・ロレンソ相と呼ぶ。画像はベラクルス州立大学附属のハラパ人類学博物館所蔵のサン・ロレンソ1号の巨石人頭像。

紀元前12世紀(きげんぜんじゅうにせいき)は、西暦による紀元前1200年から紀元前1101年までの100年間を指す世紀

出来事

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紀元前1200年代

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紀元前1190年代

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紀元前1180年代

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紀元前1170年代

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  • 紀元前1178年4月16日 - ギリシア各地で皆既日食
    • アメリカ・ロックフェラー大学のマルセロ・マグナスコ(Marcelo Magnasco)と、アルゼンチンのラプラタ天文台のコンスタンチノ・バイコウジス(Constantino Baikouzis)の研究では、『オデュッセイア』の記述にある、トロイアから帰還したオデュッセウスが故郷イタケーで遭遇した皆既日食は、この時のものだと推定している。
  • 紀元前1178年頃 - エジプト王ラムセス3世がデルタの戦い英語版で「海の民」連合軍に勝利する。
    • 「海の民」としてペリシテ人チェケル人・シェケレシュ人・デネン人・ウェシェシュ人の部族の名が挙げられている。
  • 紀元前1175年頃 - エジプト王ラムセス3世がリビュア人の侵入を再び撃退。

紀元前1150年代

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紀元前1140年代

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  • 紀元前1141年頃 - エジプト王ラムセス5世死去。ミイラの調査からラムセス5世は世界最古の天然痘の罹患者だったことが判明している。

紀元前1120年代

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  • 紀元前1126年頃 - 伝承ではアテナイ王テュモエテスの死によりテセウス王家が断絶。アテナイ王にピュロス王家のメラントスが即位。
  • 紀元前1125年頃 - イシン第2王朝のネブカドネザル1世王が即位( - 紀元前1104年)。

紀元前1110年代

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紀元前1100年代

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人物

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伝説・架空のできごと

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  • 紀元前12世紀 - 周の祖古公亶父には太伯虞仲季歴の三兄弟がいた。末子季歴が優れた才を持っていたので、父の意を汲んだ太伯と虞仲は季歴に跡目を継がせるため出奔、荊蛮の地へと赴き断髪文身の習俗に合わせ国の祖となった。断髪文身の習俗を持つ倭人(日本人)はこの太伯の末裔だとの説がある(『翰苑』巻30に記録された『魏略』逸文や、『晋書』東夷伝、『梁書』東夷伝)。
  • アガメムノンオデュッセウストロイを陥落させる方法を考えるように言われ、初代ドクターがトロイアの木馬作戦を考案。

参考文献

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  • エリック・H・クライン著 安原和見訳 『B.C.1177 - 古代グローバル文明の崩壊英語版筑摩書房、2018年。ISBN 978-4-480-85816-0

関連項目

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