紀元前197年
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紀元前197年(きげんぜん197ねん)は、ローマ暦の年である。ローマ建国紀元557年、ガイウス・コルネリウス・ケテグスとクィントゥス・ミヌキウス・ルフスが執政官の年[1]。
他の紀年法
[編集]できごと
[編集]ギリシア
[編集]- マケドニア王国への協力の見返りとして、スパルタ王ナビスは、ピリッポス5世から重要な都市アルゴスを獲得した。ナビスはその後占領の継続を期待して、ローマ帝国に鞍替えした。
- テッサリアで行われたキュノスケファライの戦いで、前執政官ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスに率いられたローマ軍はピリッポス5世に対して決定的な勝利を収めた。テンペ条約において、ローマの将軍が提案し、ローマ元老院が承認した和平の条件は、ピリッポス5世は王位とマケドニア王国の支配を続けてよいが、彼が征服した全てのギリシアの都市を放棄するというものだった。ピリッポスはローマ帝国に補償金として1000タレントを支払い、ほとんどの捕虜を引き渡し、弟のデメトリウスを含めた人質をローマに差し出さなければならなかった。アエトリア同盟はピリッポス5世に王位を手放すよう求めたが、フラミニヌスは反対した。
アナトリア
[編集]共和政ローマ
[編集]誕生
[編集]→「Category:紀元前197年生」も参照
死去
[編集]→「Category:紀元前197年没」も参照
脚注
[編集]注釈
出典
参考文献
[編集]- T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association