紀元前496年
表示
世紀 | 前6世紀 - 前5世紀 - 前4世紀 |
---|---|
十年紀 |
前510年代 前500年代 前490年代 前480年代 前470年代 |
年 |
前499年 前498年 前497年 紀元前496年 前495年 前494年 前493年 |
紀元前496年(きげんぜん496ねん)は、ローマ暦の年である。
当時は、「アルブスとトリコストゥスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元258年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前496年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
[編集]できごと
[編集]ギリシア
[編集]共和政ローマ
[編集]- 紀元前508年に追放された王政ローマ最後の王タルクィニウス・スペルブスは、レギッルス湖畔の戦いで新しい共和政ローマの軍に敗れた。この戦いの結果は、ラテン世界に対するローマの優位性を確立した。
- カルタゴとローマは条約を結び、ローマの船はカルタゴの西部と貿易を行わず、カルタゴはラテンの政治を邪魔しないことが合意された。
中国
[編集]- 晋軍が范氏と中行氏の拠る朝歌を包囲した。
- 衛の公叔戌が魯に亡命し、趙陽が宋に亡命した。
- 楚の公子結と陳の公孫佗人が軍を率いて頓を滅ぼした。
- 越が呉軍を欈李で破り、呉王闔閭は戦傷を受けて死去した。
- 斉と魯と衛が牽で会盟した。
- 斉と宋が洮で会盟した。
- 晋軍が范氏と中行氏の軍を潞で破り、籍秦と高彊を捕らえた。また晋軍は鄭軍と范氏の軍を百泉で破った。
誕生
[編集]→「Category:紀元前496年生」も参照
死去
[編集]→「Category:紀元前496年没」も参照
脚注
[編集]注釈
出典