紀元前530年
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世紀 | 前7世紀 - 前6世紀 - 前5世紀 |
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十年紀 |
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年 |
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紀元前530年(きげんぜん530ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元224年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前530年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
[編集]できごと
[編集]中国
[編集]- 斉の高偃が軍を率いて北燕伯款を唐に送り込んだ。
- 宋の華定が使節として魯に赴いた。
- 斉の景公・衛の霊公・鄭の簡公が晋に赴き、昭公に朝見した。
- 楚の霊王が大夫の成虎を殺させた。
- 晋の荀呉が斉軍と合流すると偽り、鮮虞に道を借りて昔陽に攻め入り、肥を滅ぼした。
- 周の原伯絞がその家臣らによって追放された。
- 周の甘悼公過が甘成公や甘景公の支族を排除しようとして、反撃に遭い、殺害された。甘成公の孫の甘平公鰌が立てられた。
- 魯の叔仲小・南蒯・公子憖が季孫氏の排除を計画した。費の宰の南蒯は費に拠って離反して、斉についた。公子憖は費の離反を聞いて斉に亡命した。
- 楚の霊王が州来で狩猟をおこない、徐を包囲し、呉を脅かした。
- 晋が鮮虞を攻撃した。