紀文幹
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時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 |
天慶7年9月2-3日(944年9月21-22日) 信濃国筑摩郡信濃国府(現・長野県松本市?) |
官位 | 従五位下・信濃守 |
主君 | 朱雀天皇 |
氏族 | 紀氏 |
父母 | 父:紀淑光 |
兄弟 | 文煥、文利、文実、文幹、文慶、文相、文輔 |
紀 文幹(き の ふみもと)は、平安時代中期の貴族・歌人。参議・紀淑光の子。官位は従五位下・信濃守。
経歴
[編集]天慶7年(944年)9月2日か9月3日の夜、信濃国に国司(信濃守)として下向したが、到着した当日は暴風雨が吹き荒れており、国衙が倒壊し、その下敷きとなり圧死した[1]。最終官位は従五位下信濃守。松本市大村に、文幹の墓とされる「国司塚」が残る[2]。
『拾遺和歌集』春の部に承平4年(934年)詠じた屏風の歌一首が掲載されている[3]。
官暦
[編集]脚注
[編集]- ^ 『日本紀略』天慶7年9月2日条、『扶桑略記』天慶7年9月3日条
- ^ 神沢, 昌二郎『推定信濃国府』 56巻長野県松本市丸の内3-7〈松本市文化財調査報告〉、1987年3月30日(原著1987年3月30日)、1頁。doi:10.24484/sitereports.8129。 NCID BA4184667X 。
- ^ 巻1。日文研和歌データベース, 異同資料句番号:00002
- ^ 『清慎公記』