紫藤南天
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紫藤 南天 | |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 明治・大正年間 |
ジャンル | 政治漫画・風刺画 |
サイン |
紫藤 南天(しとうなんてん、生没年不詳[1])は日本の漫画家。明治から大正にかけて風刺漫画を多く手掛けた。
概要
[編集]生年不詳[1]。18歳か19歳の頃に漫画を描き始め、その作品が北澤楽天に認められる[2]。以降、楽天門下の漫画家として政治漫画・風刺漫画を手掛け、明治末期から大正中期に『時事新報』『東京パック』などで活躍した[1][2][3]。特に1912年(大正元年)の時事新報紙面には、ほぼ毎号、紙面のスペースを大きくとって紫藤の漫画が掲載された[3]。「NAN」という署名を用いた[3]。
1923年には第八回漫画展(東京漫画会)に「クヰーンの朝」と題する裸足で階段を掃除する女給の漫画を出展しており、岡本一平などの作品と共に「階級意識や社會意識を取り扱つたのなぞ注目に價する」と評されている[4]。
その後、紫藤は子供漫画に活動の場を移す[1]。1948年(昭和23年)には三心社から『怪星探検』、『謎の怪盗』という漫画を出版していることが記録されている[5][6]。