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紫金山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紫金山古墳

後円部墳頂
所在地 大阪府茨木市室山1丁目
位置 北緯34度50分39.2秒 東経135度32分45.8秒 / 北緯34.844222度 東経135.546056度 / 34.844222; 135.546056
形状 前方後円墳
規模 全長約110m
築造時期 4世紀前半
史跡 大阪府文化財
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紫金山古墳(しきんざんこふん)は大阪府茨木市に所在する前方後円墳

概要

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勾玉文帯神獣鏡
鳥取県立博物館企画展示時に撮影。

昭和22年(1947年)に病院の施設を山丘の頂上に造る工事の際に、石室の一部が露出し、5月に京都大学大阪府により発掘調査が行われた。

古墳は山の尾根を利用した東向きの前方後円墳で、全長約102m、後円部径約76m、前方部端の幅約40m。 後円部中央に南北方向に竪穴式石室が長さ約9m、幅約4mの大きさに彫られた土壙の底にU字型に粘土で床を築き、その周囲を安山岩片岩の扁平な割石で囲んで室を造り、上部に花崗岩の天井石が7枚のせられていた。 石室内部から装飾品としての玉類や刀剣・鉄鏃・鉄製の鎌・斧頭・やりがんな・のみ、さらに車輪石・鍬形石・筒形銅器、貝製の鍬形石2個など多種多様なものが出土している[1]

平成4年(1992年)大阪府教育委員会による2次調査では墳丘の測量とレーダ探査が行われ、平成15年(2003年)の第4次調査、平成16年(2004年)の第5次調査では6次にわたってトレンチ調査が実施され、これにより、墳丘長は約110mであることが確認された。 各斜面の葺石はホルンフェルス砂岩花崗岩類で、付近の勝尾寺川茨木川の川床礫から採取されたと考えられる。多量の円筒埴輪が出土し、鰭付円筒埴輪には翼状のものがあり、松岳山古墳(大阪府)出土のものと類似している。

副葬品の鏡には棺内からは漢鏡の方格規矩四神鏡と棺の外から三角縁神獣鏡・仿製三角縁神獣鏡、仿製鏡の3種類がそろう。 筒型銅器は最も古い形式。貝輪3点は他に見ないもの。玉には管玉・棗玉・勾玉があり、棗玉・勾玉に使用された翡翠新潟県糸魚川産の可能性が高い。武器類も豊富で、石槨内外から73点の刀剣、石槨内から165点の鉄鏃が出土。銅鏃はない。堅矧板革綴短甲籠手武具が注目される[2]

副葬品は現在、近つ飛鳥博物館京都大学総合博物館で保存・展示されている。

史跡指定

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交通アクセス

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出典

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  1. ^ 茨木市教育委員会 「わがまち茨木 古墳編」 (1990)全国書誌番号:90047602
  2. ^ 京都大学大学院文学研究科考古学研究室 「紫金山古墳の研究」 (2007) 全国書誌番号:21296018

外部リンク

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