細川誠久
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時代 | 室町時代中期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 弥五郎→誠久 |
別名 | 細川伊豆入道 |
官位 | 治部少輔、伊豆守 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利義稙、足利義澄、足利義晴 |
氏族 | 細川淡路守護家(佐々木源氏流) |
父母 | 父:細川政誠 |
兄弟 | 誠久、高久 |
子 | 弥五郎[1] |
細川 誠久(ほそかわ しげひさ)は、室町時代中期の武士。官途は治部少輔、伊豆守。家は細川淡路守護家であるが、細川氏ではなく佐々木源氏の出身である[2]。
概要
[編集]明応2年(1493年)2月1日に近衛邸を尋ねた際の仮名は弥五郎である。文亀3年(1503年)7月23日に父と同じ治部少輔を名乗り「細川民部少輔」と「同次郎」とともに近衛邸を訪れている永正元年(1504年)12月27日までに伊豆守を名乗っている[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 木下昌規『足利義晴と畿内動乱―分裂した将軍家』戎光祥出版、2020年。ISBN 978-4-86403-364-0。