細谷源二
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細谷 源二(ほそや げんじ、1906年(明治39年)9月2日 - 1970年(昭和45年)10月12日[注 1])は、日本の俳人。東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)生まれ。本名は源太郎[1][2]。旧号は碧葉[1][2]。
経歴
[編集]工手学校(現・工学院大学)中退後[1][2]、同じ俳人の松原地蔵尊の『句と評論』に加わった。1939年(昭和14年)、渡辺白泉、藤田初巳らと「句と評論」(後に「広場」に改題)を創刊した[1]。後に内藤辰雄らと共に工場生活を取材し[2]、口語表現にも挑戦した[1]。1940年(昭和15年)、新興俳句弾圧により検挙され[1][2]、約2年半収監される[2][3][4][5][6][7][8]。
1945年(昭和20年)、戦後開拓として北海道豊頃村(現・豊頃町)の開拓地に家族とともに入植したが失敗に終わった[2]。
細谷はその辛酸を句集『砂金帯』に執筆した[1][2]。1947年(昭和22年)、砂川の東洋高圧に施盤工として入社した。定年後札幌に移住し、1948年(昭和23年)、俳句人連盟の地方機関誌「北方俳句人」を主宰したが、連盟の分裂により休刊した。翌1949年(昭和24年)、「東圧俳句」を合併して「氷原帯」を創刊し主宰者となり[1][2]、後に北海タイムスや北海道新聞俳句選者にもなった。
代表句
[編集]- 鉄工葬をはり真っ赤な鉄打てり
- 英霊をかざりぺたんと座る寡婦
- 地の涯に倖せありと来しが雪
- 明日伐る木ものをいはざるみな冬木
作品
[編集]- 『鉄』
- 『塵中』
- 『砂金帯』
- 『泥んこ一代』(自伝、「俳句事件」所収) 春秋社・1967年刊 [9]
受賞歴
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 20世紀日本人名事典では12日の死去となっているが、デジタル版 日本人名大辞典+Plusでは10日の死去となっている。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h “細谷源二”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2022年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “細谷 源二”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ). 2022年4月4日閲覧。
- ^ 岩本茂之 (2022年5月22日). “治安維持法違反で投獄の俳人 細谷の獄中記を日仏語で復刊 仏出身の俳人「ロシアの弾圧と一緒」”. 北海道新聞. 2022年12月13日閲覧。
- ^ しんぶん赤旗 (2022年6月17日). “細谷源二の獄中記『俳句事件』を今こそ、 マブソン青眼12句連作「Слава Україні (スラバウクライニ)」”. 2022年12月13日閲覧。
- ^ 中日新聞 (2022年9月1日). “俳句弾圧事件の被害者・細谷源二の獄中回想録を復刻 俳人マブソン青眼さん、仏訳とともに紹介”. 2022年12月13日閲覧。
- ^ RCJ(フランス・ユダヤ・コミュニティー・ラジオ)の文学番組「細谷源二『俳句事件』仏訳スペシャル」 (2021/5/27放送)(フランス語).
- ^ 安味伸一 (2023年4月26日). “80年前の証言、今こそ 俳人・細谷源二獄中記、日仏2カ国語で復刊 マブソン青眼さん講演”. 毎日新聞 (北海道版). 2023年4月26日閲覧。
- ^ 「細谷源二著『俳句事件』 ー 『俳句弾圧不忘の碑』からフランス語訳の出版まで」マブソン青眼氏講演会のビデオ - YouTube(北海道立文学館、2023年3月24日公開)
- ^ その一章となる「俳句事件」原文閲覧 (「俳句弾圧不忘の碑」公式ブログにて)
参考文献
[編集]- 『現代俳句大辞典』三省堂
- 自伝・細谷源二著『泥んこ一代』春秋社、1967年刊
- 細谷源二著『俳句事件』、マブソン青眼訳(フランス語訳、日本語原文覆刻、解説、注釈)Genji Hosoya, Criminel pour quelques haïkus... - Mémoires de prison d’un haïjin pacifiste (1941-1945), traduction, notes, présentation et transcription du texte original en japonais, édition bilingue français/japonais 二カ国語版 (Pippa Éditions, Paris, 2022) (ISBN 978-2-37679-062-4)
- 『特別展 細谷源二と齋藤玄 北方詩としての俳句 図録』北海道立文学館刊、2023年
外部リンク
[編集]- 「細谷源二著『俳句事件』―『俳句弾圧不忘の碑』からフランス語訳の出版まで」マブソン青眼氏講演会 - YouTube(北海道立文学館、2023年3月24日公開)