細長橋
細長橋 | |
---|---|
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 |
右岸:大分県豊後大野市三重町宮野字細長 左岸:大分県豊後大野市犬飼町田原 |
交差物件 | 大野川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 豊後大野市道深野細長線 |
開通 | 1931年(昭和6年)12月[1] |
座標 | 北緯33度2分49.3秒 東経131度38分4秒 / 北緯33.047028度 東経131.63444度座標: 北緯33度2分49.3秒 東経131度38分4秒 / 北緯33.047028度 東経131.63444度 |
構造諸元 | |
形式 |
7径間連続桁橋 (中央部は2径間連続トラス橋)[2] |
材料 |
鋼製ワーレントラス桁(ポニー平行弦、下路) コンクリート桁 石橋脚[2] |
全長 | 115.1m[1] |
高さ | 4.9 m[1] |
最大支間長 | 28.5m[1] |
地図 | |
細長橋の位置 | |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
細長橋(ほそながはし[3]、ほそながばし[2])は、大分県豊後大野市の大野川に架かる橋である。
概要
[編集]大野川が三重川と合流する地点のやや上流の豊後大野市三重町宮野字細長と同市犬飼町田原との間に架かる。かつての国道326号[4]の旧道である豊後大野市道深野細長線[3]の橋である。なお、1983年(昭和58年)に完成した現在の国道326号[5]は、この橋の下流で大野川を越えている。
1931年(昭和6年)12月に開通した[1]、橋長115.1メートル、幅員4.9メートル。7径間の桁橋で、中央部に支間長各28.5メートルの2連の下路式鋼ポニー平行弦ワーレントラス構造を持ち、右岸側の2径間及び左岸側の3径間がコンクリート桁とされた道路橋である。下部工(橋脚)は切石積み橋脚である。
コンクリート床版が剥離して鉄筋が露出する等、老朽化によって危険な状態にあるため、2005年3月31日に合併して豊後大野市となる前から旧三重町によって通行止めとされている[6][7]。 近年ではフェンスが設置により出入りが出来ない。
本橋梁は、土木学会による「近代土木遺産2800選Bランク(県指定文化財クラス)」に選出されている[8]。
歴史
[編集]江戸時代、大野川中流域の右岸に位置する三重郷は臼杵藩領であり、大野川には河川港の細長港や吐合港が設けられて、対岸の犬飼港とともに大野川の舟運を担った[9]。細長港には三重や野津から戸次まで上納米を運ぶ船が発着した[10]。
1876年(明治9年)には、大野川を浚渫して沈堕の滝下の瀬頭まで船が遡上できるようになり、細長には多くの商店が建ち並び市街地が形成された。細長橋の北側の山林内には細長の繁栄の様子を記した「細長繁栄記」の碑が残っている。この碑は1878年(明治11年)に建立されたもので、豊後大野市の有形民俗文化財に指定されている[10][11]。大野川の通船は、豊肥本線の開通などに伴い衰退していった[12]。
江戸時代には細長港付近に橋はなく、細長には渡しが設けられていた。細長の渡しは明治時代に入って交通や運輸が増えると県営となった[13]。細長は大分市市街地から犬飼町を経て三重町に至る交通の要路に位置しており、やがて渡し船では増大する貨物輸送の需要に対応できなくなったため、明治時代末から架橋の必要性が叫ばれ、1931年(昭和6年)12月に細長橋が完成した[14]。一方、細長の渡しは、細長橋の開通に伴って廃止された[13]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 細長橋1931-12 - 土木学会付属土木図書館、2017年6月30日閲覧。
- ^ a b c 細長橋 土木遺産in九州(一般社団法人九州地域づくり協会)
- ^ a b 大分県道路メンテナンス会議 平成27年度橋梁点検結果 (PDF) 大分河川国道事務所
- ^ 大分県 土木学会 土木史研究委員会
- ^ 犬飼町の歴史 豊後大野市
- ^ 通行止め・通行規制橋梁リスト(H23.4月時点) (PDF) 国土交通省
- ^ 大分県豊後大野市の議事録 平成23年6月定例会(第2回) 06月20日-03号
- ^ 日本の近代土木遺産(改訂版)―現存する重要な土木構造物2800選 - 公益社団法人 土木学会. (2008年9月5日)、2017年6月30日閲覧。
- ^ みんなでつくる大野川 大野川のあらまし-歴史(1) 大分河川国道事務所
- ^ a b 市指定有形民俗文化財 豊後大野市
- ^ 『三重町誌』沿革編 第四章 近代 第四節 三重地方の産業・文化の進展
- ^ 『三重町誌』沿革編 総集編 第一章 農林水産業
- ^ a b 土谷よねさく「大野川通船について」『大分縣地方史』第29-30巻、大分県地方史研究会、1963年8月、73-87頁、CRID 1050564287608314752、NAID 120002740611。
- ^ 『三重町誌』沿革編 第五節 三重町の成立と産業の発達