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小峰朝常

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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小峰 朝常
時代 南北朝時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 結城朝常
氏族 小峰氏
父母 結城親朝
兄弟 結城顕朝結城宗顕山ノ井朝胤
小峰政常
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小峰 朝常(こみね ともつね、生没年不詳)は、南北朝時代武将

人物

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兄の顕朝が惣領を継ぎ、朝常は父の親朝が創設した小峰家を継いで小峰城主となった。興国4年/康永2年(1343年)に父の親朝が足利尊氏に帰順したとき、朝常も尊氏に降った。当時の奥州には、まだ南朝勢力が残っており、朝常はこれを拒否している。南朝勢力は、北畠顕信を大将に陸奥国霊山城と宇津峰城を拠点に、幕府軍と戦っていた。この南朝勢力に対して、奥州幕府軍を統率する奥州管領畠山家吉良家両家は、正平2年/貞和3年(1347年)、正平7年/文和元年(1352年)、正平8年/文和2年(1353年)と立て続けに宇津峰城霊山城に攻撃を仕掛けた。朝常も幕府軍としてこの合戦に従軍し、南朝軍撃退に尽力した。[1]

参考文献

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  1. ^ 室町時代人物事典 水野大樹(薯)